彼の歌と私の人生
こんにちは
昨日から暑くなってきましたね
寒暖差激しすぎて、疲れてます
さて、先日ご紹介した
五十嵐浩晃さんのライブ動画、Bluetoothで繋いだら車でも聞けるんですね
音量上げて、ライブ感たっぷりでいいなぁ
さて、今日は長文です🙇♀️
五十嵐浩晃さんのアーティスト歴と自分の人生を書いてみたいと思います。
私はCMソングでペガサスの朝を聴き、五十嵐さんのことを知りました。
小学校5年か6年くらい。
彼はその時ニューミュージックのスターになり、ベストテンとか毎週のように出てました。
愛は風まかせ、ディープパープル、そしてペガサスの朝とヒットを飛ばしました。
素朴な感じが好きでペガサスの朝のレコードお小遣いで買いました。←レコードですよ
でも長くはヒットが続かず、テレビにも出ないようになり、
その後私は中学生の時に、またお小遣いでアルバムを買いました。
その頃彼は朝日放送という大阪の放送局でラジオ番組をしてまして、
純粋な私は、朝日放送に電話して、
五十嵐さんは収録にいつ来られますか?
わかりません←当たり前
なんて聞いてましたよ
そのラジオ番組でかかった浜田省吾さんのプロミストランドにビビッときて、そこからは浜省の追っかけになりましたが
いつだったか五十嵐さんが所属してる事務所に電話してみたんです。
電話に出たのはアルバイトの留守番の若い女の人。
暇だったのか、めっちゃ色々話してくれました。
五十嵐さんは最近事務所をやめたこと。
オーディションは本当は一位だったけど、水割りをくださいの人がバックが太くて先にデビューしたこと。
最後に出たアルバムは、プロデューサーに公園で聴いてもらって何とか出したこと。
後に東京ってで歌を出すんですが、東京って嫌いだけど好きだよって歌詞があるんですが、
北海道から出てきた五十嵐さんには辛いことが多かったようです。
その後、どうせ捨てるからとその事務所の人が私に五十嵐さんのグッズを送ってくれました
私はファンクラブに入り、プレゼントに〇〇へって直筆のサインをもらってひゃ〜ってなってました。
中学生時代、一度大阪のライブに放送部の先輩と2人で行きました。
先輩は松山千春さんが好きで、後に北海道の放送局のアナウンサーになりました
ライブは1人でも何回か行きました。
でもその時なぜか一度もペガサスの朝を歌うことがなくて、1回ファンの一部がアンコール後にペガサスの朝を歌うよう粘ったことがありましたが、もちろん無理でした。
その後病気療養のため活動休止とのことで、ファンクラブも消えてしまいました。
私は高校生の頃、歌詞の意味もわからずカセットテープで←懐かしい、歌を聴いてました。
その頃遠距離恋愛してて、なんとなく沁みるものがあったのです。
でも結局、ディープパープルの歌詞の通り、
それは誰のせいでもなくて、あなたが男で私が女で
という理由だったと思います。
相手を傷つけたけど、破局という仕方のない選択でした。
その後回復された五十嵐さんはアポロンという会社からレコードを出します。
この頃の曲が私は一番好きです。
特にサマートワイライトという曲。
男女の別れをトワイライトの色が変わるようにワインの色で表現した、私の中の名作です
作詞は松本隆さん。←今は神戸にお住いだそうで、お会いしたいわ
メロディーも絶品で、彼の声だからできる歌だと思います。
この頃私は社会人で、ライブも大阪に来た時は毎回ではないけど行ってました。
ある日、今のダンナと大阪でデートしてた時に、五十嵐さんのライブ会場の前を通りました。
思わず心の中で、行きたい…と思ったけど、そのまま見て見ぬふりをしてデートを選びました。
それからしばらく五十嵐さんとのご縁は途切れました。
結婚して、ライブ行くこともなくなり、
日々生活で必死すぎて、ワープして今に至ります。
数年前、娘がアップルミュージックを設定してくれて、
久しぶりに五十嵐さんの歌を聴きました。
でもなぜか一番聴きたいサマートワイライトなどが聴けないのです。
アポロンというレコード会社が倒産し、その後版権がどーたらこーたらとなり、
アップルミュージックで聞けなかったそうです。
最近はアップルミュージックでも聴けるようになりました。解決したのかな。
子育ても終わり、この歳になり、
五十嵐さんの曲を聴くと、初めてその奥深さがわかるようになりました。
去年、プロモーターの方の手助けもあって、初めて五十嵐さんのライブに差し入れを送りました。
前回のブログにも書きましたが、みーくんの田舎の送迎にずっと聴いてて、それが田舎のトラウマになり、
聴けない時期がありました。
五十嵐さんのアーティスト人生はご苦労が多かったと思います。
そして、昔からの曲を聴くと、あの頃はこれを聴いてこう思ってたなとか、こんなことしてたななどと自分のことを思い出します。
私は容姿もすっかり変わってしまったし、体も悪くして、ライブに行ってた大阪すらも何年も行けてません。
変わらないのは五十嵐さんの歌声。
透明感があり、伸びやかで、車で聴いてると、彼の若い頃のもじゃもじゃ頭と少しふっくらした可愛いお顔が浮かびます。
きっとボイストレーニングずっと頑張ってこられたんだろうと思います。
私はもし出来ることなら、杖ついてでも、娘と一緒にお花を持って札幌のライブにもう一度行ってみたいです。
五十嵐さんの歌は北海道だからこそできたと思います。
ずっとゴリゴリのファンという訳でなく、ついて離れてでしたが、
歌で自分の人生やその時の考えを思い出せるなんて、やっぱり好きだったんだなと思います。
私にとって素晴らしいアーティストです
長文読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m