第四章 保育所神話の危険度

 フェミニストに取って、保育所は絶対に必要な施設である。
 フェミニストは躍起になって保育所を美化する。

 「乳幼児にとって母親は必ず しも必要でない。
  育児の専門家も居て、友達もできる保育所の方が良い」と
 いう、ゼロ歳児神話、保育所神話を作り上げた。

 保育所は、始まったばかりの実験に過ぎない。
 これを美化するのは、危険である。

 金属バット子殺し事件の教訓

 その幼児は、数年に一度の過敏症の子供であった。

 過敏な子供については、母 親の育児が不可欠である。
 配慮もなく、無神経な環境に入れられると、子供は回りから
 虐待を受けているような気持ちになる。

 慣れれば大丈夫とばかりに、心の虐待が続くと心が破壊されて
 しまう。子供はやがて、周囲に怒りや恨みを持つ ようになる。

 このケースは明らかに、フェミニズムによる「保育所神話」の
 犠牲者である。 フェミニストは、
 「子供は適応力があるから、ゼロ歳から保育所に預けて大丈夫」
 と請け合った。しかし、不適応を示す児童もいるのだ。

 そういう根拠のない理論を無責任に流した者にも罪がある。

 1999.5/3、「アエラ」では、尾木直樹の調査により、
 保育所児童の言動の乱暴 さが取り上げられている。

 1994.3/4、「朝日新聞」より、保育所の園長の手記。
 (全文引用)

 子供を施設や病院に預けて至れり尽くせりに育てても、
 暖かい家庭や両親の愛 情に勝るものはない。

 最長で深夜の十二時まで認められる延長保育にも、
 同じ事が言える。私どもの 保育園でもこんな風景を目にする。

 冬の夕方、真っ暗な夜道を母親が迎えに来る。

 保育室のドアが開く音とともに、寝ていた幼児がいっせいに
 ドアに注目する。自分の親と気付いた幼児の嬉しそうな表情は
 見ていて微笑ましいが、自分の親では ないと知った子の
 寂しげな表情は見るに忍びない。

 「もうすぐお母さんが迎えに 来るからね」とあやす若い
 保育者の姿にも心が痛む。

 むずかる子を抱きしめて冬の夜道を家へ急ぐ親の後ろ姿に
 疲れは隠しきれない。 夕食を用意しているうちに子供は
 寝てしまい、満足な食事もできないだろう、と余計な心配もする。


 本当に子供の立場で育児を考えた時、果たして、
 乳児(0~2才)も、幼児(3 ~5才)も、
 十把ひとからげにした保育時間の延長で良いのだろうか。

 幼児ならともかく、乳飲み児まで保育時間の延長を強いられる
 事には大きな疑問を感じる。

 子育てには、「適時性」という言葉があり、その年齢ごとに
 育まれるべき大切 な事がある。

 0、1歳児に置いては本来、スキンシップ等の愛情行動を通し、
 母親の肌のぬくもりを感じとる時期である。

 そうした母子関係の営みが、子供の心を安定させ、
 また親としての自覚を生み出す。
 そのとき始めて母子の心の絆が結ばれる。

 心の絆が育たないまま成長した子供は、
 糸が切れた凧のようになる恐れがある。

 小中学校の不登校や非行化などの背景には、ひょっとしたら、
 乳幼児期の偏った子育てのあり方も原因の一端となっている
 のかも知れない。

 当時の朝日新聞には、まだこんな投書があった。

 ほとんど戦時下、非常体制 下の文章である。
 最近の新聞は、働く女性にとってマイナスになるような意見は
 絶対に取り上げないという姿勢を示している。

 その代わり、何度も取り上げられるのは、密着育児の弊害
 ばかりである。良い事が陥められ悪い事が持ち上げられている。

 1998.10/8、「朝日新聞」 杉原里美ほか三名の記事。

 「育児は母」という言葉に
 「追い詰められ」「罪悪感に泣いて出勤」した母の体験が
 取り上げられ、「母 性神話の重さ」が槍玉に上げられている。

 働く事が無前提に良い事で、家事や育児は強制、
 抑圧のように描かれるのが主流。

 いまの新聞の家庭欄、生活欄、文化欄はフェミニストに
 よって占領されている。

 だから「母性神話」「三歳児神話」を否定する記事しか載らない。

 子供と母親との結び付きは胎内に遡る。
 だから、いくら優しくても他人では駄目なのである。

 悪しき「密着育児」キャンペーン

 マスコミの主流では、育児ノイローゼや、幼児虐待の原因が、
 すべて「密着育 児」に帰せられている。多くの弊害は、
 母性不足による。堺で起きた、十九才の 青年により、
 一人死傷、二人刺傷の犯人は祖父母の手によって育てられている。

 母が働きに出た方が、母子双方の健康に良い等という意見は、
 いかにも無責任 な、自己満足の為の意見だ。

 宮台真司もまた、フェミニズムに加担する姿勢を見せている。

 その著、「透明 な存在の不透明な悪意」では、専業主婦とは、
 子供の為に生きる存在と狭く定義 した上で、それは子供の
 自発性を損なうし、母親の為にもならないと結論づける。
 ここでは、子供を大切にする事が、子供の為「だけ」に生きる
 存在と、すり変えられている。

 学歴偏重と出世主義は、専業主婦よりは、
 働く女性の方に多く見られる傾向で ある。

 鈴木光司も、フェミニズムにすり寄っている。
 その著、「家族の絆」の中で、
 「父よ、もっと家庭に、母よ、もっと外に」と謳い、
 「保育園の充実」を訴えて いる。

 「密着育児」「密着育児の弊害」という騙し言葉。

 これはフェミニストの、ごまかし言葉の一種である。
 誰も密着などしていない。

 育児ノイローゼになる女性に聞くと、その多くが
 「だっこ」さえしていない。

 密着しているよりは密着していない方が
 育児ノイローゼに掛かる率が高い。

 密度濃くかわいがる?

 保育所を批判すると、その弁護論は必ずいつも決まって
 こう言う。母親が帰宅 してから、「集中的にかわいがれば良い」
 「密度濃く愛情を注げば良い」果たして、
 「集中的に」「密度濃く」かわいがるとは、どういう事なのか。

 具体的に想像してほしい。

 強く抱いたり、たくさん触ってやったりしたら、
 子供の 方は慌立たしい雰囲気を感じて、
 かえってストレスになりかねない。ゆったりした気持ちで、
 ゆったりした時間の中で接してこそ、愛情が感じられるものだ。

 働いて、保育園から子供を引き取って、帰宅した母親は、
 あとは食事をさせて 風呂に入れるのが精一杯だろう。

 さらに愛情を注ぐには、毎日勤めに出なくても 良い、学者、
 大学勤務などの恵まれた母親だけである。

 普通の、働いている母と 子の毎日は、
 「戦争のようだ」と言う人も多い。

 乳幼児保育をなくす事こそ理想。

 最近の若い女性は、「子供=負担」という心理を持っている。

 長年、フェミニズム思想、勤労第一主義に晒されてきたせいで、
 子供に愛情が持てない。

 「女性の進出」「女も働け」という言葉と「子供=負担」という
 見方は裏表である。

 大学で子育ては素晴らしいものだと言うと、
 学生達は、「そんな事は始めて聞 いた」とびっくりする。

 多くの女性は美容やダイエット思想に染まっているので、
 「妊娠してお腹の大きい自分を想像するだけでゾッとする」と言う。

 フェミニズム思想に洗脳された女性は、
 子供を持って母になる事を、「堕落」 「駄目になる」、
 「程度の低い生き方」「戦線離脱」という風に捕えてしまう。