参加者4名。
伊藤ハムの豚虐待事件 で浮き彫りになった、工業的畜産の非人道さを伝えるためのチラシくばり、パネル展をしました。
伊藤ハムの本社は、この西宮北口駅から近いです。
この近くに住む人に、工業的畜産を身近な問題として捉えてもらえたら、と強く思います。
私たちがスーパーで買うのはパック詰めされた細切れにされた肉のかけらですが、それは私たちと同じように感情があり、感覚があり、痛みを感じ、親子愛のある生き物の大事な体の一部だったものです。スーパーで並べられているものから、想像することは困難ですが、私たちは舌を喜ばせるために、動物たちに大きな負担を強いています。
今日も一緒に活動したゆかちゃん
は、チラシを配るときに「動物たちのことを知ってください」と言って配っています。
毛皮製品、日用品のための動物実験、研究者が論文を発表するための(そうとしか思えない)動物実験、肉食、ペットショップ、などで動物たちがどのような負担を強いられているか、多くの人に知ってほしいです。私がそうだったように、知らないだけの人は多いと思います。
動物がひどい目にあっても平気だという人は、少ないのではないかと思います。
肉を食べる必要はないです。動物性食品に含まれていて、植物性食品に含まれていない栄養素はないからです。ビタミンB12には注意が必要です。海草類をこころがけて多くとらなければならないと思います。近年はDHAも体に必要だといわれています。これは動物以外から摂取することは困難ですが、植物性のサプリがあります。
しかしそんなことはどうでもいいことです。
問題は、痛みを感じることができる生き物を、
無麻酔で体の一部を切断したり
ぎゅうぎゅうの過密飼いで短い一生を送らせたり、
わらがないのに巣作りの真似事をさせたり、
プライバシーのない狭い金網の中で、何度も何度も隠れ場所を探させたり、
母牛の乳を吸いたいという欲望を一度もかなえられぬまま、乳に似たあらゆるものに吸い付くという異常行動を起こさせたり、
方向転換できない囲いの中でほぼ一生過ごさせたりしてもいいのか、
ということです。
動物を商品とする以上、商品である動物はコストを抑えるために、また消費者の要求にこたえるために(霜降り肉の需要など)負担を強いられます。どんなに福祉に配慮された飼養をされていても、最後には、本来の寿命よりはるかに短い期間で屠殺するのです。
人の間の差別が間違っているように、動物への差別も間違っています。
家畜とは、食べるために養殖される動物です。
動物を、養殖して、殺して食べるという行為は、すさまじい差別です。
どんな小さな動物も命はかけがえのないものです。
たった一つしかないのです。(゚ーÅ)