またもや、ドラマ「ゲゲゲの女房」から。
も~~~~~~~~~~~~~~っう!!!!!!!!!!!!!!!
参ってしまうわ。 今週は。
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とりあえず、 この前の日記の続きから。
せっかくの大きな仕事のチャンスではあったのだけれど、それは、決して失敗の許されないものでもありました。
そうして、そんな大事なチャンスだからこそ、自分が、これはと自信を持って挑めるジャンルで挑戦しなければならないと考えたそうです。
「大手の会社からの以来を断るなんて」「もう、二度と、こんなチャンスこない」
そんな声もありましたが、
仕事の依頼に来た編集者は、水木しげるさんの古い作品からよく読み理解していて、
「チャンスは必ず、もう一回くる」
そう言った、水木しげるさんの言葉どおり、しばらくして、もう一度チャンスは訪れて来たのです。
今度の注文は、細かい条件は抜きに、とにかく漫画家としての度量を試される、ある意味一番厳しいものでした。
条件は、ただ、一つ。
ジャンルは問わないけれど、とにかく「テレビ」よりもおもしろいものを。
大手の漫画雑誌でさえ、子供達の興味を、テレビに取られかねない時代でした。
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早速、朝から晩まで、テレビを食い入るように見つめ続ける水木しげるさん。
夜、暗くなった部屋でも、相変わらずテレビにくぎ付けになっていた時。
おそらく、テレビCMでラーメンの宣伝が流れている時、それを見つめながら、「腹減った・・」そんなことをつぶやいていると、
ふと、画面の中に入り込み、CMのラーメンを食べている自分の姿をかいま見たのです。
その瞬間。 ああああ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!
と、家中に響きわたるほどの叫び声をあげ、
その後、テレビの世界と現実世界を自由に行き来できる少年、「テレビくん」の構想が生まれるのです。
訪れた編集者に、その構想を見せたところ、「これぞ、子供達のスターです!!」と、大絶賛を受けるのですが、
それを聞いたとたん、「いや、ちょっと待てよ」といった顔になります。
(予告の画像で、どんなキャラクターが生まれるのか、どことなく見えていた私は、うんうん♪と、気持ちが高鳴ってゆきます。)
そうして、そばにいた、まだ幼い娘さんが、目の前の食べ物に無造作に手を伸ばす(誰のお皿のものかなんて、目に入らず)無邪気なしぐさを目にし、
言葉は、しっかり覚えていないけれど、
「あぁっ!! そうか」
そんな真剣な顔をしていたと思います。 そこには、普段ドラマで見る、温厚そうな面影は一切ありませんでした。
(7月13日放送分)
見ながら、私も、「うんっ!」って、大きくうなづきたくなりました。
他人のものと、自分のものとの違いが、まだ、あいまいにしか分かっていない、幼い子供の無邪気な動作。
はじめの構想の「てれびくん」の絵柄も魅力的ですが、そこには、予告の画像で見た、無邪気で可愛らしげのある様はありません。
娘さんの無邪気なしぐさと、「テレビくん」が、重なる瞬間でした。(だと思うのですが・・)
水木しげるさんは、こう、続けます。
「「テレビくん」には、可愛らしさが足りない。 そうしないと、子供達のスターにはなれない」
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こどものスターは、こどものこころの、 代弁者。
こどもが、誰より身近に感じる、 子供らしさ。
(その、子供らしさは、大人の目には可愛らしく映っても、 子供にとっては、もっとも自分と重なって見えるはず)
大人は、つい見落としがちで、小難しく考えて、分からなくなってしまう。
その、あまりに、シンプルな、単純明快さ。
こうでなくっちゃ♪(←見てるだけだからの、お気楽発言)
頷きながら、そう思いつつも、 水木しげるさんの、あまりに真剣なその気迫は、胸の奥に、ずしっとくるものがあった。
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あまりのインパクトに、しばし、どきどきしながらも、しばらく後、今度は私が、
「あぁぁ~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!!!!!」
と、こころの中で、叫ぶことになる。
そうか、そうだったんだ。
想像とか、創造とかって、私には出来ないって思ってた。 苦手だって思ってた。
人それぞれ、方法はこれと決まっているわけではないのだろうけれど、
私が思ったのは、
何もない(無)から、何か(有)をつくることではない。
全てある(在る)から、 ある(在る)を見出すことなんだ。
目の前にあっても、気づかなければ、無い(無)も同じ。
目の前の、幼子のしぐさに、気づかなければ、何もなかった(無)と同じ。
日常生活の中での「無」と違うけれど、「無」は、何もないのとは違う。
「無」の中に、何かしらの「有る」を見出した時、 「無」から「有」が生まれるんだ。
今回の場合は、幼子のしぐさという、目にも見えるかたちでだったけれど、目には見えない(例えば人のこころだったり)でも、同じ。
一見、目に見えずらく、気づかないなら、「無い」(無)も同じ。
けれど、気づいた時点で、それは、確かに、「有る・在る」(有)ものになる。
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そうして、ドラマの画面の中を自由に行き来する、あどけない幼子の姿は、
大人が期待する、子供らしさとは、違う。
そこにいるのは、「生命力」という名の、子供だった。
大人が、うわべで満足できる、可愛らしさなどでない。
子供が、子供そのものだからこそ、持つ「生命力」
それは、きっと、大人にも、うわべを越えた、力となるはず。
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それにしても、あたま ぐるぐる 。 こころ どきどき 。
そっか。 私にとっては、想像・創造って、 「無」(在る)から、「有」(在る)を見出すことなのかも知れない。
それにしても、ドラマの中での、役者さんの迫真の演技。 そこから垣間見える、水木しげるさんご本人の気迫。
なんだか、どきっと胸に迫るものがある。
なんだか、びっくりしすぎて、お話しは今週分はまだ途中だし、頭もこころも、まだ混沌としていて、
ぐるぐる。 どきどき。 ぐるぐる。 どきどき。
なのです。