こんにちは。
不安障害歴数年のふわふわこころです。

暑いですね。熱中症と共に冷房病にも気をつけたいと思うのですが、「熱いけど寒い」上手くバランスが取れてない気がします。
足が冷えます(笑)

不安障害、パニックを発症してから2年後に休職。それから半年後に退職。
約1年後に寛解し社会復帰。
半年後に再発し退職して半年以上が経ちました。
専業主婦です。

闘病、お薬や寛解、再発について詳しくは過去ブログに書いてあります。
あくまで私個人の体験談ですから、「なるほどこんな人も居るのね」ぐらいで留めておいて欲しいと思います。
ですが、「なんだかふわふわな柔らかい気持ちになれた」ならこちらは飛び上がるほど喜びます。


今日は
私が今死ぬとしたら
というテーマなんですが。



なぜそんなことを考えるようになったか。

半年前に再発した時、「ショック、絶望」、確かにありました。
しかし、
・再発少し前に新しい夢ができていて、勉強を初め、前を向いて歩き出していた事。
・仕事は、ちょうど2年ぶりぐらいの社会復帰でしたので、体に負担がかからない就職先を選んでいた事。
・夢が出来てからお金が必要で再発前から転職を考えていた事。
などが後押ししてくれました。
人間関係がきっかけで再発したので職場が変われば、夢(お金が要る)のためなら、頑張れると、再就職のため、精力的に就活をしはじめました。
それに、1度寛解を経験した時に、私はいろんな事を学習しましたので、再発後も、今までの私とは違い少し強気でした。
ですが、面接中にパニック状態になってしまいました。(寛解した時の面接は大成功でしたが。)再発後、間髪入れずに頑張ったのが悪かったのかな。数社落ちました。

それから一気に体が動かなくなり、燃え尽きたように「消えたい」と落ち込む日々。

数年前にパニック発症した時、パニック直後に「消えたい」と思いましたが、それは、私を取り巻くストレス(環境)から逃げたいという感じでした。

ですが、
再発からの夢を叶えるために精力的に取り組んだ就活でパニックがでたこと。
それから、数社落ちたうち、オープンにせざるを得なかった会社に落ちたことで、消えたくなった時のそれは
パニック持ちの私は必要とされていない
という意味になりました。

何も出来ないと。
居ていいのかと。
自分が気持ち悪く
苦しいだけの毎日。
「消えてしまいたい」
と考える自分が怖く。
でもそれが真実で。
子供や旦那にも申し訳なく。
私が居なくなったら
泣くだろう。
だから居なきゃダメだ。
居るだけでいい。
生きてるだけで今はいいんだと
自分に毎日言い聞かせ。
居るだけの日々。

それが癖になり
今は
居るだけでいい
私が笑うだけでいい
日常をキープするだけでいい
という土台が出来上がりました。

1度寛解した頃は、まだ「自分らしく」とか「思うままに」しようと頑張らなければ出来なくて、訳分からない表現ですが、頑張らないことに頑張る日々。不安障害の経験を機に、一皮剥こうとしてた感じでした。
不安障害に戻らないように。

再発し、希死念慮みたいなものを超えかけてる今は、ふにゃふにゃの赤ちゃんです。
嫌なこと全部知る前のゼロの私に戻った感覚です。
そりゃ悪夢なんかはあります。
記憶もある。
でも何か他人事で、忘れてってるんですよね。
不安障害だよ私。パニック出るよ私。
働けないよだからなんだよ。
悪いことして金稼いでるやつもいるじゃん!
て考え。

そんな私、今朝
なぜかふと考えたんです。
「私が今死ぬとしたら」

今=令和2年8月31日(月)13時11分の現在
という意味ではなく、何時でも今は今なんです。
そういう意味で考えました。

過去も未来もなく今しかない。

私が今死ぬとしたら
とふと考え、頭をよぎったのは、
幼い頃の自分でした。
沢山遊んだ友達や、公園。


祖父母と行った実家近くの山や田んぼ。


転校する前の学校の校庭。


幼いなりにいじめっ子退治したり、
いじめられてる子と一緒に帰ったとき
上手く言葉をかけてあげられなかったりして
悩んだこともありました。
他校の子と喧嘩したり。
でも、懐かしく暖かく1度タイムスリップして覗いてみたい、いや覗いてるような気分になりました。


次に、何故か時系列では無いのだけど、
記憶にない赤ちゃんの時の話など
親から聞いた事を思い出しました。
手を繋いだであろう、DV自死の父


や毒母


や暴力兄、やんちゃだけど今はいいパパな弟、


きっとみんなに手を引かれ引いてあげて育って来たんだ。


そこから約15年後に飛んだ。
同級生の旦那に学生時代告白し、別れ、成人式の後にやり直したいと言われたこと。


それからたくさんのデート。
結婚、2人の赤ちゃん。


この世の天使
我が身より大事な2人
「消えたい」気持ちがあった私
子供の可愛さを語ると涙が出ます。
どんなに追い込まれ追い込んでいたのだろう。
こんな大事な人を置いて行けるわけが無い。


それから最後に、記憶は中高生の私に飛んだ。
好きなことに全力で、ちょっと神経質だけど、明るくがんばりやさんで、真面目だった。
部活から帰ると何キロも走り、


筋トレして、朝まで絵を描いた6年間。


夢は社会に出てからは趣味になったけど
今何も出来ないで、専業主婦の私に、体力と気力がもどればまた夢を追えるかもしれない。


だって気持ちはだんだん白くなってきてる。
白いものに描くのは絶対好きなものでしょ。


リアルに今死ぬと考えたら、
恨みつらみじゃなくあったかくて幸せな過去がたくさん流れ込んで来ました。



幼少期、幸せな時間、愛された時間はあった。


学生時代好き放題する時間はあった。



そして、不安障害でも、パニックでも、悪夢にうなされようが、体の痛み(椎間板ヘルニア)があろうが、
朝起きれば旦那と子供がいる日常が始まる。



どうか、旦那や子供より先に死ねますように。
それから長生き出来ますように。

読んでいただきありがとうございました。

                     ふわふわこころ。