もしも一日だけでも、WI-FIもスマホもタブレットもアンテナも柔軟剤も洗剤も、大丈夫な日があったら、

 

 

イオンとかで買い物して、本屋さんでゆっくり本のチェックをして、友達とランチをして、ハンドメイドのイベントに行って、お茶して、映画を見て、気のあう人と居酒屋さんに行ってお酒を飲んで、おいしい焼き鳥を食べて、カラオケに行きたいです。

 

めちゃ怒濤のフルコース(笑)

 

1日じゃ足りないですねアセアセ

 

あっ、図書館でゆっくり本も見たいです。

昔から図書館大好きで何時間も過ごしていました。

(今では体調悪化を覚悟の上で予約本を取りに行くので精一杯・・。)

 

今となっては遠い夢ですが、そういう日があったらとっても嬉しいです。

 

 

友達とお酒飲みつつ鍋をして、いろんな話をして笑ったり、デザートにアイスを食べて「おいしいね」って言い合ったり、そういう時を思い出すと幸せな気持ちになります。

思い出はいつでも、幸せな時間を引き出してくれるありがたいものなんだなっていうことが分かりました。

 

 

WI-FIとか強い電磁波も柔軟剤もなかった頃は幸せだったな、できたこと、してたことあっただろうなって思います。仕事してたらお金も今よりあっただろうし。

 

 

過敏症になり、体調が悪いのはもちろんなんだけど、一番悲しいのは人との関わりが減ったこと。

不便なこと、諦めたこと、苦しさと悲しさ、さみしさ、つながりの希薄化。

 

 

世の中には、いろんな病気の人や困っている人がいて、自分よりもっと大変な人はたくさんいるのはよく分かるけど、やっぱり過敏症の人の生活は大変だと思います。

 

 

でも反面、得たこと、気づいたこともあります。

 

 

家族の優しさ。周りの人のあたたかさとありがたさ。

静かな時間。身体の大切さ。身近にある幸せ。

声に出すことの大切さ。自分軸の大切さ。

社会状況や問題点についてより向き合うようになったこと。

人の痛みを身近に感じるようになった(と自分では思っている)こと。

 

 

どんなことも悪い面もあればいい面もある、そう思って自分を勇気づけています。

 

 

私の電磁波過敏症はこれから電磁波が増していくことを踏まえると良くなることはないだろうなあって諦めてぎみです。電磁波過敏症が病名として認識されることはなかなか難しいのかなあと思っているけど、せめて発症する人が少ないといいな。

 

 

化学物質過敏症は病気として認められているので、もっと受け入れられていいはずだけど、未だに風当たりが強いですね。強風暴風・・。

 

 

もしかしたら日本人に多い同調圧力、みんなと同じ、多数派が安心、少数派の意見はおかしいという風潮も影響しているのかもしれませんね。

 

ネットで話題になっていましたが、柔軟剤など香りがないといじめられるかもっていうのはまさしくそれだと思います。


 

 

私はおばさんになってから発症したからまだいいけど、子どもの頃に発症した人はつらい人生。

 

自分の子ども時代を振り返ると、体育嫌だなとかみんなの前で発表するの嫌だなとかはあったけど、毎日友達に会って色々話をして、先生の話が面白かったり、好きな人に会えるのも楽しみでした。

マスクの強要と無意味なアルコール消毒もなかったし。

 

 

でも、子どもが過敏症になっちゃったら、過敏傾向だったら、学校に行けなくなったら、そういうことを経験することはなくて、成長期の孤立感は大きいし、恋愛もどうするんだろうって感じだし。

 

その子は何を思うのかな。

さみしさ?諦め?社会への不信感?自責感?無力感?

 

大人でも大変で泣き言言いたくなるのに、子どもがそれに耐えなくちゃいけないの?

 

 

化学物質過敏症で学校に行けなくて、別室対応とか(自習多いらしいですね。学校にもよるのでしょうけど)、卒業式参加できないとかさ。

卒業式くらい周りが柔軟剤と整髪料とか止めればいいじゃん、見た目は大事だとしても、自分の子や仲のいい友達の子がそういう状況だったら大体の人は使わないでしょうに。(使うのかな?)

柔軟剤禁止の風潮学校が出せばいいじゃん。

 

って思うけど、それができないんですよね。


 

電磁波過敏症で学校行けなくて、ギガスクールでデジタル化するのはいいとしてもタブレット使うかどうかの選択肢は全くなくて、使えない人の居場所はなくなって。

 

エアコンつけるときはあれだけ渋っていたのに、ギガスクールはずいぶんとスピーディで、社会の構図が垣間見える出来事だなあって思いました💧

 

 

過敏症でも耐えれる子はがんばって登校しているのでしょうけど、がんばって学校に行く、がんばって仕事に行く生活って何なんでしょーか(泣)

その「もの」がなければ体調良く過ごせるのに?

柔軟剤にはマイクロカプセルはじめ有毒なものも含まれています。

国内の電磁波基準は高過ぎ!ですし。

 

 

例えば、柔軟剤や抗菌剤の成分が使っている人だけにいけばいいけど、他の人にも影響与えています。

使う自由って良く耳にしますが、使う自由があってもそれが届かない自由はないんでしょうか。

 

 

考えると頭にきます😠

何とかしたいけど何もできない無力感。

 

 

SDGSとか誰一人取り残さない社会とか言ってますけど、取り残されている人いっぱいいますよ。

大体みんな同じようにってあり得ないんですよ。

一人一人体質も違えば、置かれている環境も背景も違う。

ある人にとって大丈夫(すぐには影響が出ない)なもの、使えるものが、ある人にとっては酷く悪影響なこともあるし、環境や体質、生き方上特定の「型」に当てはまれない人もいます。

取り残さないためには数多くのルートが必要です。

□一個だけじゃなくて△も○も☆も✿も※も♪も必要です。

 

これは過敏症だけに限ったことじゃなくて、ワクチン、薬害、障害、不登校、ホームレス、ひきこもりなどにも通じた背景だと思います。

社会の中で少数派が許容、受容される範囲が広ければ広いほど、生きやすさが拡大するのになぁ。

 

 

「科学的根拠がない」というのは、今の科学では分からないだけです。

今の時点の科学の力量でわかっていないけど、明日、未来の力量では分かることになると思います。

 

根拠がどうこうよりも、そういう人もいる、その事実で十分では?

そういう人もいるしみんな気をつけた方がいいよね、どうしたらいいかな?って流れができて欲しい。

 

 

せめて化学物質過敏症の子、電磁波過敏症の子、過敏傾向でそういった環境にいれない子、家族が化学物質過敏症の子が安心して通える学校や居場所があればいいなあって思います。

 

 

病院も過敏症の人が体調崩さず受診できるところがあるといいですよね。

 

 

 

過敏症のことって、ここまで問題が拡大してきているとさすがに関心ある人(自分や周りがにおいに敏感だったり、健康や食の安全に気を配っている人とか)は知っているので、全く知らない人にどうやったら知ってもらえるのか?、関心もってもらえるのかというのが課題だな~と思います。

 

ブログとかSNSは関心ある人しか見ないでしょうし。

 

知らないだけで、知れば協力してくれる方、理解してくれる方もいると思うのです。

 

 

気持ちの整理をしつつ、自分にできることをしていきたいです。