教職への道 | 伯爵は大学生

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このブログも長いなぁ。日々のことや思ったことなどとをまったりチマチマ書いていこうと思います。

みなさんこんにちは。
大学が始まって一週間が過ぎました。早いような短いような…。伯爵は教職(教師の資格を取るコースみたいなの)を取ろうとしているので、毎日がおおわらわです。

と、ここまで来て最近思っていることがあります。まだ一週間しかたってないんだけどね!
自分に教師は務まるのかなと・・・。

教職の授業を受けていて思うんです。
教師って、学校時代にクラスの中心とかにいたりして、学校のドラマにまだまだ浸っていたい人間がなるものなんじゃないかなと。
苦痛もドラマだと思えればそりゃ、大変な職業でも続けられるわけだと。
そう言う人が、教師を職業として、そして続けていけるのだと。

ここで思います。正直、わたしはそういう人生のドラマ化を行う教師が好きではありません。
彼ら彼女らのいう「クラス全員ドラマ」はごく一部の人間にのみで構成されているからです。
現実のドラマならいいでしょう。全員主役だとかいいますが、そんなことしたら出演者コストだって大変なことになる。喋らない、関わらない、でもちゃんと一体化して、まるで中心人物たちと”おなじ”であるような行動をする。そんな彼ら。
現実世界の彼らは喋らない、関わらない、でも彼ら自身にも意思があります。

わたしは昔、中学卒業時に、「このクラスで本当によかった」「楽しかった」「皆仲良しなクラス」云々が飛び交う最後の挨拶でこう言ったことがあります。「皆仲良しなクラスならば、なぜ不登校が改善しなかったのか」「何故不良をこじらせた奴がいるのか」と。私はそれが不思議でした。

「カリキュラム」を作っている教師たちは、かつて、それらクラスの中心にいた子たちが大人になり、「こういうことを生徒に言われて嬉しかった」などの感情を糧にしているのではないでしょうか。そんな彼らにクラスのはみで組は見えているのでしょうか。



教師という人間が嫌いという人、ときどきいますよね。教職取り出してからその気持ちがよくわかるようになりました。自分の手で織り上げてる(なんだかんだいっても彼らの大半はそう思っていると思います。なぜなら
彼らを育てた"先生"たちもそういう人間が大半だからです)クラスドラマに酔いしれている。
伯爵、案外こう見えて禁欲的です。
そういうたのしみ、というものを仕事に持ち込むべきではないと思っています。

なにが言いたいんでしょうね。わからない。
でも、とりあえず、教職はとります。とろうと思います。
ただただ、今の教師の考え方とあり方に疑問を感じただけなんです。



まぁ、一番の志望は大学院進学ナンデスガ。