舛添氏の判断基準が国民・都民の政治家として求めている基準と異なっている事に、気付かない訳は無いと思うのですが?。


氏の判断基準の基本は全て法律なのだと思います。だから政治資金規正法に違反しなければ、どの様に使ってもと公私の区別を気にもしなかったのではないでしょうか。


法律とは日本国民として最低守らなければならないルールですが、国民が政治家に求めているのはそれに加えて高い倫理感を求めているのです。


そんな事ぐらい舛添氏が解っていなかったと云う事にまずびっくりしますし、しかもまだ良く理解していないのではと更にびっくりしています。


氏は『自分は都知事として充分すぎるほど仕事をして来た』と思っていると思いますし、更に『何も法律を犯していないのに何故ここまで批判されなければならないのだ』とも思っていると思います。


だからこそ不信任案について「私が辞任するか、都議会を解散するかと云う選択を迫られる」とか「リオ五輪後までどうか少しの猶予を頂きたい」などとの発言が出るのです。


更に仕事の出来る、先を読める政治家として「知事の座にしがみつくのではない。次期開催都市として選挙とリオ五輪が重なる混乱は、公益にそぐはない」とも言うのです。


舛添さん仕事が出来るのは認めましょ、でも今問題になっているのは貴方の人間性なのですよ!!。