「娘さんとお母さん。似てますね」
月に一度の、私のカウンセリングでいわれたこと。
私が娘が出す希望を全て受け入れてしまうという話のあとに言われた。例えば今チョコが食べたいとか。夜散歩にいきたいとか。そういわれれば、寝る時間になっていなければチョコを買いに行くし、散歩にも行く。カウンセリングの中でそんな話をして、仕事と家事で疲れていても娘の希望を叶えてるんです。といった話だったと思う。
「疲れていたら今日は少し無理だからと言ってもいいんですよ」
娘たちが生まれた時からどんなに疲れていても
最大限希望を叶えてあげなきゃいけない。お母さんなんだから。
いやいや。もっと前から。
子供の時から自分ではなく人の価値基準に沿うことが当たり前だった。両親、兄弟は私の気持ちを尊重しないというのが当たり前だった。私は空気を読んで自分を殺すのが当たり前できてしまったからそれ以外の人生の確立方法がよくわからないのだ。
頭ではわかっている。自分軸で、もっと自分を大切に自分の人生を生きなくてはと。
私は2世信者だ。幼い頃は母に手を繋がれ聖書とパンフレットを持って知らない人たちの家のチャイムを押した。いつも知らない人たちに「うちはけっこうですから」とか、たまには怒鳴られたりする母をみて、恥ずかしくて辛かった覚えがある。小学校になってからは同級生に見られるのでは、という恥ずかしさとともに、神に背いてるような強い罪悪感。
子守唄がわりに聞かされた宗教の教え。私は自分自身のものではなく、すべて神の持ち物。輸血などはできなくて、神のものである自分の体に他人の血を入れるなど神に背く行為だ。神の尊い教えを俗世の人たちに、伝道してまわっているのに恥ずかしいなんて、、。
そういった育ちの自分はもう、潜在意識に自分という確固たるものが育っていない気がする。頑張って自分の人生を生きようと思っても自分以外のものでアイディンティを満たそうとしてしまうくせがある。子育てなんてうってつけの依存先なんだ。大義名分もしっかり揃った依存先。
もう宗教はやめたのに、、、。私はまだぬけだせない。これが2世信者の本当の地獄だ。気づけば何かに依存しようとしてる。生まれた時からの洗脳は解くことなどできるのだろうか?それはもうわたしの一部となっている、、。
ただ最近、2世信者の方たちの戦いを見ることが多く、私だけじゃないと心強く思う。
この悪いバトンを娘たちに繋ぐわけにはいかない。このままでは娘たちも私を真似て生きづらい人生になってしまう。なんとしても、それは避けたい。