今の時代に、決定的に不足して見るものはなんだろう、と考えてみる。
私は、想像力だと思う。
例えば、毎日、テレビに映し出される被災地の避難所暮らし。
遠く離れていても想像は出来ると思う。
体育館の床の固い板に布団を敷く。プライバシーを保つのは、段ボール箱の切れ端。
先日、テレビで東北選出の政治家が、未だに、夕食はカップラーメンとおにぎりだけと
話していた。
そういう暮らしを、部屋にブルーレイレコーダーがあって、携帯を使い放題にし、
風呂の水は出しっぱなしにし、テレビは家にいる間、付けっぱなし、
そんな暮らしをしていて、想像できるだろうか。
私が、避難所にいたら、ストレスで胃に穴があくんじゃないかと考えてみる。
ある評論家が「東北の人は我慢強いから」といっていた。
そんな簡単な言葉で、片付けられるだろうか?
日本中、何処に行っても、精神的に強い人もいれば、東北に住んでいても、
我慢強くなく、寂しがりやで、今にも押しつぶされそうな思いで、暮している人も
いるだろう。
誰も彼も、一緒くたにして考えていたら、復興なんて出来ないと思う。
ケースバイケースで、やり方が違うんだ、と私は思う。
原発から避難している人には、その人達独特の苦しみがある。
津波から避難している人には、瓦礫になった我が家をどうするのかという問題がある。
そのかゆい所に手が届く問題解決法を具体的に考えるのが政治だと思う。
遠く離れていて、現場にいけない人間は、出来る範囲で義捐金でも送って、
何とかしてあげて、と祈るしかない。
しかし、その義捐金ですら、十分に配られていないという。
今の行政には、想像力が欠落しているとしか思えない。
避難所の人々の痛みを考えれば、普通は、いてもたってもいられないはずだ。
しかし、官僚も政治も、これが今の日本の現実。
おそらく、被災地の人にとっては、大連立も菅内閣も、どうなろうと知ったことか、
という気持だろう。
とにかく、やることをやってくれ、実行に移してくれ、というのが、本音だろう。
人の心の痛みを知る想像力。これだけは、何処にいても失いたくないものだ。