なかなか進みも悪かったけど、墨子


何で読みたかったのか、全く覚えてないんだけどたしか、道教と儒教があって、他に入り込める思想はないと思ったんだけど、ってなところだったような


簡単にご紹介

諸子百家の一つで、墨家と言われる思想家一派

道教、儒教と同じように宗教的な教えを布教している

その代表的な思想が、非攻、兼愛、非儒で、宗教としてはよくあることかな?


ただ、内容がかなり強引で中には、話のすり替え、詭弁、傲慢さがよくあり、それらと同じように大切なものもあった


内容はたくさんあったけど、この三つの感想で言うとまず、非攻

いつの時代でも同じだけど、自分は攻めなくても攻められる、自分は仲良くしたいのに相手が乱暴であるとか、正直者が馬鹿を見ることがよくあることで、何がなんでも攻めてはいけないとまでは言ってないけど、極端に非難はしている

戦は天道に則り、攻められたら攻め返し、相手が退いたらこちらも退くってのが普通


次に兼愛

少し話がごっちゃになるかもだけど、人の中にはモテたいって気持ちを持っている人がいる。モテるってのはどーいった意味かと聞いても曖昧な返答しかない

もし、モテるって意味を不特定多数から好かれることとするなら、そんな汚れたものは捨てろと言う

不特定多数から好かれるってことは不特定多数を好きになるって意味でもある

スポーツ得意な人、学識の広い人もいれば、他人の悪口しか言わない人、自分の都合で事実をねじ曲げる人もいる

自分が好む人もいれば、合わない人もいるけど、そのすべての人を好きになれるかと言うと非現実的

実際にどんな人でも好きって人は見たことも聞いたこともない

それを広く、差別的でないって言えるのは事実に則してないってことになる。


非儒ってのは単に儒教を否定してるんだけど、正直今回の中身からは意味がわからない

儒教で、親が死んだら三年喪に服すって教えているらしいが、そんなことをしたら、国の生産性、人の劣化、国や人の営みを全否定していて、生きている人間の死期を早めているだけってのは墨子も同じ意見

それから儒教の兼愛も、身近な人、家族、親といったように信密度が違うってことで差別的な平等だっての主張

そこは多分、人情、義理や孝行忠孝などの概念がないからなんだけど、自分に善くしてくれた人に心を尽くすのは当然のことだと思うけどそれは違うらしい


義とは何か

墨子が最も大切にしているものだけど、そもそも義と言うのは、善くも悪くも人の心、それを正義だとか忠義だとかの基準があるってこと

現代でも常だけど、愛が大事って言うがそれは偏った愛で、慈しみや情愛の感じられない身勝手で都合良くねじ曲げられたもの

墨子の義も同じように、儒家を同じように兼愛で見ることはしずに差別的に扱っている。

ねじ曲がったものほど肯定的に理解することはなく、否定的で蹴落とす勢いで接する

管鮑の交わりと言うものがあって、あれこそが義であり愛であり、狭いが理想的な関係だと言える。


例えると、老子が釈迦で孔子が空海、墨子が創価学会ってイメージができてた読んでる時に(笑)

創価学会がどこかを否定してるかは知らないけど、構図としては一番しっくりきてる(笑)


ってな感じで、とりあえず次は諸子百家以外かな?

今はそっち系統のネタストックがない

だから、軍事機密にでも手を出そうかなと


統帥綱領ってやつ

内容は、戦時中の国事に就く人に対する教えらしいが、楽しみでしかない今のところ

和製と言うと、闘戦経とか五輪書があるけど、最も新しく、実践的で現実的な兵法書ってイメージを持っているので、期待がデカすぎる(笑)


また、今年に限っては記録としてどんな本で何冊読んだかってのと、墨子のせいか、事実としての記録を一つ、記しておこうかなと


近いうちに(笑)