草間政一「知りすぎた、私」 | ヒロエモンのハッソーハッソー

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2004年から1年ほどの間、新日本プロレスの社長を務めていた草間政一氏が書いた本「知りすぎた、私」を読みました。

タイトルが何やら思わせぶりですが、中身は真面目な本です。

さまざまな会社を立て直すなどビジネスについて経験豊富の草間氏はアントニオ猪木と知り合い、当時3年連続赤字続きだった新日本プロレスを立て直すために社長就任を依頼されます。プロレス界のことは何も知らなかった草間氏でしたが、2年間の約束で受諾し、ビジネスライクに物事を進めます。

草間氏は初めの1年で赤字続きだった経営を立て直し、次の1年でそれを発展させるつもりで改革に取り組みました。さっそく、改革プロジェクトを立ち上げます。引退したレスラーの再就職口を兼ね、レスリング教室なども行える新道場の設立、海外遠征、売掛金・営業未収金の回収、マーケティングリサーチ、コスト削減、優秀社員・優秀レスラー表彰、給与システム改修、月次決算の迅速化など。そこで様々な問題点が露呈。

各地のプロモーターからの未収金が多く、それが当たり前の状態となっていたので改めようとすると「プロレスを知らないから」と抵抗される。未収金の回収はビジネスの基本であるのに誰も改善しようとせず、なあなあで付き合いが続いていた。

マーケティングの結果から、中邑や棚橋ら若手への期待が高いことがわかったので、彼らを売り出す路線を敷こうとしたら永田や中西らの抵抗に遭った。現場ではベテランに気を使い、一向に新陳代謝が進まない。良いレスラーとは客を呼べるレスラーだ。

社長が知らないところで勝手にマスコミにカードが発表されるため、毎週ミーティングを行い、情報の集約化を行う。闘魂三銃士興業は、社長が知らないところで話が進んでいたため許可しなかった。

などなど様々な改革を実行に移し、1年たつ頃には黒字に転換し、これからという時に猪木から「草間は辞める」と勝手にマスコミに伝えられ、あと1年任期があったのに辞めざるを得なくなってしまった。猪木は結局、娘婿のサイモン・ケリー猪木氏を社長にし、社内は昔の通りに戻ってしまったと言う・・・。

新日本プロレスはその後、ユークスの子会社となり、今年、ブシロードに買収され、プロレスの復権のため新しい改革が行われようとしています。この時期に、草間氏が過去に行った改革を知るのも面白いと思います。