みちのくプロレスVS大阪プロレス | ヒロエモンのハッソーハッソー

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聴いてる音楽、プロレス観戦、美術展など

しばらく見ないうちに、とんでもないことになっていた!

みちのくプロレスと大阪プロレスだ!

知らない人のために言っておくと、みちのくプロレスとは、
現在岩手県議の覆面レスラーとして有名な「ザ・グレート・サスケ」が、
1993年、東北地方の地域密着型プロレス団体として旗揚げした。

当時、サスケのライバルだった「スペル・デルフィン」は、デルフィン軍団を率いていた。
新日本プロレスにも参戦し、獣神サンダー・ライガーとの試合が名勝負となったこともある。
その後、サスケと団体運営で対立し、みちのく所属選手5人とともに離脱し、
1999年、大阪プロレスを旗揚げする。

それから2人は犬猿の仲となったのだ。

大阪プロレスも大阪の地域密着型の団体であるが、デルフィンがやりたかったのは
家族で楽しめるお笑いプロレスだった。

「みちのく」も「大阪」も、それぞれどんどん選手が離脱するも新世代が台頭することで
持ち直し、独自の客層を獲得していった。

県議となったサスケに変わり新崎人生が社長となると、人生は大阪に出向きデルフィンと会い、
2003年にサスケVSデルフィン戦を実現したが、その後はまたも離縁。

2006年、みちのくからGAINA、テッド・タナベ・レフェリーが大阪へ移籍すると
再び両団体間で火花が上がり、大阪に乗り込んだ人生をデルフィンが撃破。
大阪プロレス王者のデルフィンは、みちのく王者の南野たけしとのダブル・タイトルマッチでも
勝利し、みちのく王者となる。

今度はデルフィンがみちのくのリングに上がったものの、テッド・タナベ・レフェリーの
大阪有利のレフェリングに観客が激怒し、ブーイングを浴びる。

デルフィンはサスケを挑発し、このたび、
10月8日岩手でサスケVSデルフィンのタイトルマッチが実現することになった!

デルフィンは正々堂々と試合を行うと言ったものの、サスケが負けた場合は
人生を大阪に連れて行くと宣言した。

この試合はまさにみちのくプロレスと大阪プロレスの究極の潰し合いだ!