1か月余りぶりの更新です。

 

 今月7日は、私の60回目の誕生日でした。

 60歳ですので、いわゆる「還暦」ですね。この一生に1度しかない誕生月も、きょうで終わりです。

 

 私がFacebookで還暦だ還暦だと書いていたせいか、所属しているグループや親しい支援関係者の方から、たくさんの「おめでとう」の言葉やお祝いのサプライズをいただき、思い出に残る1か月になりました。それらについては、月が替わってしまいますが来月のできるだけ早い時期にまとめて報告したいと思います。

 

 ところで、私にとって今年の誕生日は、前述のようにうれしかった反面、寂しい気持ちで迎えた日でもありました。それは、同じ誕生日だった立命館大学名誉教授の高垣忠一郎先生にFacebookでお祝いの言葉を送ることができなかったからです。

 Facebookには友達になっている方の誕生日が通知される機能があります。それを通じて毎年誕生日のたびに祝福とご挨拶の言葉を書き送っていました。しかし、先生は年明け早々の1月3日に亡くなりました。79歳でした。

 

 去る2006年2月、ひきこもり支援の全国研修会「第1回社会的ひきこもり支援者全国実践交流会 in 和歌山」に参加したとき、選んだ分科会でコメンテーターとして登壇されていた先生を初めて拝見し、事例発表していた支援者に厳しいコメントをなさっていたので、第一印象は「厳しいく怖い先生」でした。

 ところが、翌2007年「第2回ニート・社会的ひきこもり支援者全国実践交流集会 in 三鷹」に参加したとき、1日目終了後の懇親会でくじ引きで偶然先生の隣に座った際に「不登校のため高校卒業に7年かかった」と自己紹介したら、えらく気に入って終了後の2次会にも誘ってくださり、そこで一緒になった先生の教え子の方々との関係を目の当たりにし、先生の気さくなお人柄に魅せられました。

 

 以来先生とは、前記ひきこもり支援の全国研修会(現「全国若者・ひきこもり協同実践交流会」)や「登校拒否・不登校問題全国のつどい」といった全国研修会その他の場で何度もお会いし、ある飲み会では「丸山と言う名前は顔形に合わないから角山と名乗れ」(笑)と言われるなど、いつも楽しい方でした。

 

 新型コロナ禍もあって数年ご無沙汰していた去年秋、先生のFacebook投稿にご病気で長くないかもしれないとあり、最後の力を振り絞って登壇された去年10月の「第25回登校拒否・不登校問題全国のつどいin京都」に参加した際には、宿泊したホテルが一緒だったので1日目の朝食時に春日井敏之先生とご一緒のところにご挨拶できました。

 講演では、先生がライフワークとしていた「自己肯定感」について、珍しく原稿を読み上げるかたちだったため、集大成的な内容でとても良く理解できました。

 講演終了後は挨拶したい参加者による長蛇の列が。先生のお人柄と長年の実績を目の当たりにする思いでした。

 当然私も列に並びましたが、私の順番が来る前に先生のお付きの方(娘様?)が私たちに話を手短に終わるよう促されたため、私の順番が来たときには近況報告だけで握手もせずにお別れしました。

 そのとき、先生が私をお付きの方に「関東でがんばっている人」とご紹介くださるなど、数年ぶりだったのによく覚えてくださっててうれしかったです。

 別れ際「じゃあね」と手を挙げてお声がけくださった姿は、一生忘れることがないでしょう。


 今月中にどうしても書きたかった思い出話でした。

 

合掌