母の日の後、すぐにまた誤嚥性肺炎になりました悲しい

毎日熱があるのですが、夕方になると高熱が出ます。そのたび喀痰もさらに増え…


会いに行ってもしんどそう…

でも手を握ると私の手をすりすり、スリスリしてくれますキューン飛び出すハート


「しんどいね。お母さん…頑張ってね…お母さ〜ん…」

そんなことしか言えない私。


その後でした。病棟師長さんからもスタッフからも言われたこと。


「点滴のルートをとるのが難しくなってきました」


母は昔から血管が立派な人でした。

私が看護師になった新人の頃も

「しぁん。お母さん立派な血管してるからいつでも注射の練習してもいいよ!採血や点滴ってね、奥が深いんよ。苦手な人たくさんいるからね。腕の試しどころ。え?もう終わったんですか?って患者さんが言ってくれるのが嬉しいんよ。だからしぁんにもそんなこと言ってもらえる看護師さんになってほしい」

と、自分の袖を捲って教えてくれました。


入院当時から立派な血管を持っている母に安心していたけれど、栄養不足なうえ、ここまで痩せると…

そりゃ難しくなるなぁと思いました。母の二の腕は私の指で回せるほど細くなっていますえーん


その後すぐ主治医に話がしたいと言われました。


…あぁ。嫌なこと言われるなぁと思いました。


主治医「IVH(中心静脈カテーテル)入れようと試みたけれど、鼠径部は足の拘縮で難しく出来なかった

、なので鎖骨下から試みた。何とか挿入出来たけれど今後、発熱しカテ熱(カテーテルを挿入している事で感染し出る熱)を疑った時には再挿入がかなり難しい。それこそもう無理かもしれない。誤嚥性肺炎を繰り返し、胃瘻も使えない、点滴も普通には出来ない。この先どうする?」


…頭が真っ白になりそうでした。このままじゃお母さんが死んでしまうかもしれない。


…お母さんって元気な頃、私とどんな話してた?

というか、本当に親がいつまでも元気でいるだろうも思っていても本人の希望は聞いておくべきだなと強く思い後悔しました。

いいえ。母がこんな状態になるまでにも葛藤してはいましたが、進行性核状性麻痺と診断されたあと、あっという間に母の症状が進んでしまい…遅かったです。

覚えているのは母がまだ元気だった頃「しぁん。あんたは遠く離れた所に住んでるしバツイチで1人頑張ってるのはよーわかってる。お母さんには長男(私の弟)もお嫁さんもいるけど、でもやっぱり私に何かあった時はしぁんに面倒見て欲しいと思ってる。…見てくれる?」と心配そうに言った母の言葉だけ。

その当時私はまだまだシングルで子育て真っ最中で、えぇ〜?未来なんかわからんやん…と思いながらもいつも私や孫を心配してくれる母に「あたりまえやん!私、ちゃんとお母さん看るよ!」と言いました。その言葉に母は「わぁ。嬉しい!ありがとう。お願いします」と言いました。


で、今こうして自分の近くに母がいて(母にとっては故郷を出て不本意かもしれないけど)

必要になり胃瘻造設はOKしてくれて。気管切開は返事がなくて…でも家族の希望でしてもらって。

今度はCVポートかぁ…(お母さんにどれだけ負担をかけてしまうんだろう…ショボーン)とか考えがグルグルしたけど主治医に宣告された瞬間、私はこう答えていました。


私「そうですか…。わかりました…それならば、何とかCVポートを作ることは可能でしょうか。よろしくお願いします」