あぁ、情けない。
自分が壊れる音が耳について離れない。
こんなはずじゃなかった等と考える
自分が歯痒くもあり、そんな自分では
ないはずだとか考える自分すら
嫌になる。
何とかせねばと肩に力が入れば入る程、
足元が覚束ない気がする。
起こるべくして起こった結果は
解り過ぎる程に解っている筈なのに、
活きている実感すら感じられない瞬間が
ある。
客観的に見ている自分も感じるし、
主観にとらまわれて雁字絡めの自分も
感じる。
訳が分からない。
活きているという実感を感じる為に、
今を再び建て直す決意をしながら、
それを実行して、更に修整して、
またそれを形にしていこう。
それしかないのは解りきって
いるのだから。
信じることは、自分も他人も。
自分を信じてくれる人のことを
もう少し信じてみよう。
他人は自分の鏡。
自分もまた他人の鏡。
意味不明のことでも、書いてみると
少しは整理できるような気がして、
書いてみるとまた新しい思いも湧いて
来るような気もするが、やっぱり僅かでも
整理されているような。
綿ぼこりが固まるように、
床には漂いながらも、
確実に纏まりつつある。
今の心情だから、
床の綿ぼこりにしか
たとえられないけれど、
家具の下に入り込んで
見えなくなってしまわない内に
一気に掃除機で吸い込んで、
全てをスッキリさせようかな。
自分の壊れる音が、
心の綿ぼこりを吸い込む
掃除機の音にかき消されたら、
少しは良くなると信じて。
さぁ帰ろ。
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