今まで振り返ってみると、何かを成し遂げた達成感を味わったことがないのではと感じる。

だからといって思い返してみると、何かを成し遂げたことがない訳でもない。

きっといつでも夢の途中にいると信じて、更に先を、更に上をと休むことなく進み続けていたからなんじゃないかと。

また夢の途中に。
ここ数年、紆余曲折ありながら先日ご先祖様を
おまつりするべく我が家に仏壇が届いた。

心を穏やかにし、線香をあげて、朝晩手を合わせる。
出掛ける時も帰ってきてからも自然と仏壇の前に座って
静かに手を合わせる。

そう言えば、子供の頃は当たり前の習慣だったはずなのに
大学に入って実家を離れてからほとんど顧みなかった時間。

独りになって既に8年目を迎えるが、ここ数日は独りを感じない。

勿論、一人ではないと思える事実があるからでもあるのだが、
それ以上に心が独りでないことを実感する。


独りではないということ。
心に灯る安心感は自分自身を照らしてくれている様な気がする。


感謝です。

眠れない日がある。

過去にとらまわれている自分、
現在にあがいている自分、
未来に向かおうとしている自分の葛藤。

人には為すべき事が定められていて、
その為に全てがあらかじめ定められていると
言われる言葉が妙に突き刺さる。

それは毎日起こる全ての経験が
辛いことも、楽しいことも、やりたくないことも、
逃げ出したいことも全て身になっているということ。

決して大それた幸福が自然と自分の元に届くなんて
思ったことはない。

やるべき事を粛々と、
自分の出来る事をこつこつと、
少しだけ限界を超えて取り組む事。

まさに学生時代のウエイトトレーニングと
何ら変わりのない取り組み。

何かに向かって進んでいる自分と、
なにも見えていないのではと目を凝らす自分と、
目に映る者だけを信じる自分。



自分の現在は過去につよくとらまわれているというか、
過去からの脱却を強く望んでいるとしか思えない事がある。

それは否定できない。

ただ、過去の栄光なんてなんにも意味がないと判っているから、
とらまわれている過去は自分を取り戻す事以外の何ものでもない。




誇りを取り戻す事。

誇りを持って生きる事。

誇りある自分であること。