3月11日。
それから一週間、ただただ凄惨な映像ばかりがテレビに映された。
「自分には何ができるだろう」
そう思わなかった人はいないと思う。
犠牲になられた方々に対する哀悼の意を心の底から感じ、
そして今ある命に対しての感謝を感じる。
今までの自分の愚かさに改めて気付かされ、
これからの自分はどうすべきかを自問する。
そして
「自分には何ができるだろう」
と思う。
そしてすべからく、次の瞬間には自分の無力さに落胆する。
自らも被災しながら、周りを励まし続ける人々。
行方不明者の捜索に尽力する人々。
原発の対応に命をかけて臨む人々。
その経過を国民に伝え続ける人々。
そのいずれにもあてはまらない自分。
想像もつかない恐怖に飲み込まれて。
今まで築き上げたものも全部流されて。
それでも必死に、必死に生き延びて。
それなのに「自分だけ生き延びて申し訳ない」なんて思わなきゃならないなんて。
生き延びたことに対する感謝の涙が、全部悲しみの涙に変えられていく。
そんな人たちのために俺は何も出来ない。
そんな風に思った。
そして、そんな風に思いながら一週間がたった。
今はこう思ってる。
「これからきっと長くなる。」
何年かかるか分からないけど。
その間に、日本にはいろいろなことが起こるだろうけど。
完全に元に戻ることなんて無いんだろうけど。
命ある自分はとにかく働いて、少しずつ出来ることを増やしていくしかない。
覚悟とか、決心とか、そんな大それたものではない。
そんなに自分に期待してはいない。
目の前にいる生徒のために、家族のために、自分のために働く。
そこに、ほんの少しだけ”この国のため”にという思いを上積みして働く。
それくらいしか俺には出来ない。
道のりは長くなる。
だから無理はいけない。
自分を慰めてるだけ、って思われるかも知れないけど。
今は「募金」も「節電」も無理のない範囲でやっていきたい。
「節電しなくていい」っていう日を待ち望みながら、無理して暖房を切りたくない。
暖房を切ることが、「節電」ではなく「通常」になるように。
「何もできない自分がもどかしい」
「暖かい部屋でお腹いっぱい飯を食う自分に罪悪感がある」
もうそうは思わないことにした。
今はできることはほとんど何もない。
そんなに自分に期待してはいけない。
でもどんなに小さなことでも、長いことやれば、その分だけひとりの力は大きくなると信じてる。
それくらいしか、小さい人間の見せ所はないわけだから。
地面はつながってる。
きっと、きっとこの小さな力がいつか届くと信じてる。
本当にちっぽけなことしか出来ないけど。
でもずっとずっとやるから。
その時々の自分の命にしがみつきながら。