今回は月刊フィッシング82年7月号別冊付録 「バスマンは目指す 東播と四国」を紹介したいと思います。



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1982年当時で既に東播と四国は全国的に有名なバスマン憧れの地であったことがタイトルからも理解出来ます。僕はちょうどこの年にバスを初めて釣るのですが、この本が発売された時はまだバスは幻の魚であって、東播地方はまさに憧れの地そのものでした。

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ページをめくればJLAA関西支部長 辻 晃良氏と全日本バストーナメント事務局長 力丸 卓生氏によるメッセージが紹介されています。
いずれもルアー少年に向けてのメッセージであって、当時バスフィッシング界を支えていた大半が少年バサーであったことが良く理解出来ます。
画像で内容を読んでもらえればよく分かるかと思いますが、特に力丸氏のメッセージは説得力のあるもので、

「トップウォーターは最高のゲームだがディープダイブの世界だって面白い」

やもすればトップウォーター至上主義となりかねなかった当時のバスフィッシングに対するアンチテーゼだったのではないかと思いますが、さすが力丸氏といえる一言ですね!

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お次はプロショップ毛利の毛利俊博さんによるタックル解説。
白黒なのが残念ですけど、こんな画像を何枚も連発されたので、当時のルアー少年は一撃で瞬殺されてましたよ(笑)
アンバサダーはもちろんですが、土地柄シマノタックルもたくさん使用されているところが関東と少し違う部分ですね。

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トップを始め色々なメソッドを紹介されていますが、当時僕が一番興味を持った記事は、ワームハウスM&Mの佐野浩司氏によるワームゲームの記事でした。当時はまだテキサスリグ一辺倒だったワームゲームで内容もそれを基本として書かれています。

興味深いのは、ワームカラーはグリーン系が良いと書かれていることです。今でこそウォーターメロンなどグリーン系のワームは釣れるカラーとして定番化されていますが、当時のワーム事情ではワームカラーは紫が絶対と言われていた時代で、その点から見ればかなり先進的な着眼点だったのだと思います。

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次はポイントの紹介ということで東播や四国のバスポイントの詳細な地図が掲載されています。
今ではこんな細かいポイント紹介は御法度だと思いますので、画像は少ししか載せませんけど、当時はポイントは愚か個人情報まで全国紙に堂々と記載された時代でした。良い時代でしたね~(笑)

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 浜松 光氏による七色ダムも紹介されています。当時全盛時代にあった七色と池原。1日3桁釣りが出来るとか伝説めいた事実が次々と雑誌に掲載され、まさしくバスマン憧れの聖地でした。此処に行きたくて仕方がなかったバサーも全国に多数いたと思います。
それにしても浜松さん、伝説のプラグをお使いだったみたいですね!これがカラーならばと悔やまれますね。

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次はポパイの小栗 洋一郎さんによる琵琶湖の記事です。
この82年当時では、琵琶湖のバスはまだ数が少なく、爆発的な釣果を叩き出したのは80年代後半になってからです。
当時はまだポイントも限られていてサイズも小型から中型がメインだったようです。
「夏場にはモンスターライギョが姿を見せるので体が震えてくる」
と書かれているので、まだまだ生態系の頂点はライギョが優位に立っていた時代だったのでしょう。
ポパイトラウトの広告も懐かしいですね。僕は当時通販でお世話になりました(笑)

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最後はレスターファインのカラー広告です。関東がスーパーストライクなら関西はレスターファインという感じで、関西では高いシェアを占めていたと思われます。
この美しいウッドグリップには憧れましたね。僕もワイルドシューターを1本持っていましたけど、ライギョを引きずり出していた時に殉職してしまいました。後にも先にも魚とのファイト中にロッドを折ってしまったのはこの時だけだったので、はっきりと覚えています。

と言うことで、フィッシングの別冊付録を紹介しました。
当時はまだまだバスフィッシング黎明期でありますが、力丸氏を始めとする偉大な先人達はすでに将来を見据えた発言をしていることには驚きを感じます。
別冊付録とは思えない内容の濃い価値ある1冊ですね。