小久保裕紀さんは、ダイエー(現ソフトバンク)と巨人で活躍した元プロ野球選手です。現在は、野球解説者、野球評論家としてメディアに出演しています。
小久保裕紀さんは、現役時代、他の選手や監督からの評価も高く、ダイエーと巨人の両球団で主将を務め。2005年から2009年まで日本プロ野球選手会の第10代理事長を務めていました。
小久保裕紀さんは、幼少期は柔道部でしたが、母がきっかけで小学校1年生から野球を始めます。小学校2年生には、プロ野球選手になることを決意します。
高校卒業後は、社会人野球を目指していましたが、母の強い勧めで大学進学に急遽変更し、青山学院大学に進学します。
小久保裕紀さんは、学生時代は文武両道で、常に成績はクラスで5番以内でした。大学時代も3年時で単位を取得し、4年生では野球に完全集中できるほどでした。
小久保裕紀さんは、大学卒業後はダイエーに入団し2012年に引退するまで、本塁打王1回、打点王1回、通算2,041安打、413本塁打を記録しました。
小久保裕紀さんは、王貞治さんを尊敬しています。巨人からFA宣言してソフトバンクに移籍した際も、契約時に王貞治さんが胃の全摘出手術でやせ細っている中、わざわざ交渉の席に駆けつけてきたことが決め手になっているそうです。
小久保裕紀さんは、コーチや監督などやるべきことを全て全うした後、最後の目標は教師になることだそうです。小久保裕紀さんの恩師である高畠康真さんが目標としていた甲子園で指揮をとることを小久保裕紀さんも目標にしています。
WBC日本代表野球チームは、11月8日に台湾と親善試合を行います。
小久保裕紀さんは、2017年のWBCを見据えて、27歳以下の選手から日本代表メンバーを選出しました。「4年後に主力になる選手」を選出したそうです。
企業が中途採用を行う際、採用した方も活躍できるようになるのに2~3年かかると見込んで、組織の年齢構成に合わせた年齢制限を設定しているところもあります。
スポーツの世界では、年齢による体力の衰えには逆らえないものがあります。
ビジネスの世界でも、アパレル販売など仕事内容に合った適齢期があります。
マンガの世界でも、以前まで少年ジャンプで連載していた作家がヤングジャンプに移籍したりと、若い作家に枠をゆずり、場所を変えてまた活躍しています。
営業会社など、年齢層が若い社員が活躍している会社では、年齢が上がるにつれ定年までこの仕事を続けられるか疑問を抱き、自身のスキルアップとキャリアチェンジのために転職する方がいます。
小久保裕紀さんは、座右の名は、「一瞬に生きる」です。
50代のプロ野球選手はいません。
現在の仕事、自分がやりたい仕事はいつまで続けられるのか、その後はどうするのか、この一瞬をどう生きるか、日々見つめ直してみてもよいかもしれません。
日本野球機構は、11月9日にWBCの日本代表監督に小久保裕紀(1971~)さんを指名しました。