
篠原洋一(1962年生まれ)さんは、南極観測隊の調理担当を経験している料理人です。豪華客船「飛鳥」に14年間乗船し和食の責任者も務めた方です。
篠原洋一さんの両親は、薬の卸問屋を営んでいました。子供のころから食べることと、旅行が好きだったそうです。
「割烹」の料理人になった理由を、「テレビの人気ドラマの『前略おふくろ様』の影響を受けたというのと、あとは、これからの日本は高齢化が進み、お年寄りが増えるから和食が良いって考えたんですよ」と言っています。
南極観測隊の調理担当に志願した理由を、知人より「オーロラの素晴らしさは実際に見ないと分からない」って。それを聞いて「見たいなあ」と心底思うようになったそうです。
篠原洋一さんは、南極観測隊に加わるためには、懐石の技術を踏まえつつ、それ以外の料理のことも広く知っておく必要があると考えていました。
懐石料理の店で働く傍ら、毎週3~4日、朝5時まで某居酒屋チェーンでアルバイト、またいわし料理店でもアルバイトをしながらさまざまな料理の調理方法を学びました。
そして、29歳で1回目の南極行きを実現しました。
南極では、喉が乾かないように味を薄めに作るそうです。南極では水が貴重だからだそうです。
篠原洋一さんは南極での食事を、「隊員の精神をいかに安定させるか。みんなの食欲を満たすか。それが命に深く関わってくる。風の強い寒いところは心が寂しくなる。」と心と命の安定に関わる重要な役割を担っていると語っています。
篠原洋一さんは、今までずっとやりたいと思ったこと、好きなことをやってきました。豪華客船の和食の責任者というキャリアと安定を捨て、南極観測隊という期間限定の仕事を選択しています。
現在、篠原洋一さんは、横浜で多国籍料理と南極メニューをご提供するレストラン&バー「 Mirai(みらい)」 を経営しています。
やりたいことが必ずしも、希望の雇用条件とは限りません。また希望の仕事に就くためには、相応のスキルを身につける必要があります。
仕事内容や雇用条件に、自身のキャリア形成と照らし合わせ、優先順位を設定して選択することをおすすめします。
