【メモ】国によって人名(姓・名)の扱いはさまざま | ウッカリカサゴのブログ

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世界には姓のない、あるいは姓を用いない民族はたくさんあり、ある意味、日本人ほど姓(家系)を非常に重要視する国民はいないかも。

文化の違いだと言えば、それまでだが。米国人はファーストネーム(名)で呼びかけてくるし・・・

モンゴル人の他に、アラブ人、アイスランド人、チベット人、ビルマ人、インドネシア人なども、基本的には姓がなく、逆に、スペイン人のように姓が二つ(父姓と母姓)ある民族もあり、ロシア人のように姓と父称がある民族も多い、とのこと。

 

論文の引用文献を書くときに迷うのだ。

Q『モンゴル人の名前は何処まで名字、どこまで名前ですか?』
A https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1037311170

以下、引用・転載
現代モンゴル人は、たいてい二つの単語を組み合わせた名前の人が多いです。
少数ですが、単語一つ、まれに三つの人がいます。

たとえば、朝青龍の本名のドルゴルスレン・ダグワドルジは、
「ドルゴルスレン」は父称(父親の名前)で、
個人名の部分が「ダグワドルジ」、これは「ダグワ」と「ドルジ」の二つの単語からなっています。
このうち「ダグワ」はチベット語で「真」、ドルジはチベット語で「雷」の意味です
(仏教の影響で、モンゴル人の名前にはチベット語やサンスクリット語のモンゴル語訛りの単語が用いられることがある)。

なお、伝統的に、モンゴル人は姓を用いません。
世界には姓のない、あるいは姓を用いない民族はたくさんあります。
モンゴル人の他に、アラブ人、アイスランド人、チベット人、ビルマ人、インドネシア人なども、基本的には姓がありません。
逆に、スペイン人のように姓が二つ(父姓と母姓)ある民族もあります。
ロシア人のように姓と父称がある民族も多いです。

モンゴル人やアイスランド人やアラブ人やビルマ人は、同じ名の人を区別するため、姓のかわりに父称(父の名)を用います。
だから、朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジの「ドルゴルスレン」は、お父さんの名前です。
モンゴル語の本当の名では、「ドルゴルスレンギーン」と最後の「イーン」という音節(意味は「~の」属格語尾)がつくのですが、外国語環境では省略されることが多いです。

ビルマのアウンサン・スーチーさんも、個人名は「スーチー」であり、「アウンサン」は姓ではなくお父さんの名です。

イラクのサダム・フセインも、彼の名は「サダム」で、「フセイン」はお父さんの名前ですね。
だから「フセイン大統領」と日本語で呼んだのは間違いで、「サダム大統領」なんです。

モンゴル人は姓を用いないといいましたが、用いないのであり、ないのではありません。
モンゴル人の姓というものは、元朝期明朝期の部族氏族名に由来するもので、清朝期にはそれが「姓」として必要なときに限って用いられました。


しかし、一般庶民は出身地と名前(と父親の名)でじゅうぶんに区別され、同じ出身地だと同じ姓が多いので、姓は普段は使わなくなったのです。
江戸時代の日本人の庶民と似ています。

貴族の家系などや庶民でも、部族名由来の「姓」を伝承しているモンゴル人もいます。
最近(20世紀末)になってから、この部族名氏族由来の姓を名のる人が出てきました。
しかし公式にはこの姓は用いないですし、忘れてしまった人も多いので(勝手に適当に選ぶという人がいた)、一般化するには至っていません。

チンギス汗の子孫(全モンゴル人の約3分の1を占める)は、歴代「ボルジギン」姓を名のってきました。
清朝政府は、モンゴル地区への漢人農民の移入を厳しく制限し罰してきて、モンゴル人には科挙を受験する資格を与えず、漢族を抑える軍事勢力としてのモンゴル人の漢化を阻止してきたのですが、19世紀中ごろにはこれが総崩れになります。

清末には、内モンゴル東部のトゥメット地方などで、モンゴル人貴族の地主の下で漢族農奴が小作をするという牧畜農耕混在の蒙漢雑居状態が進行しました。
こういうモンゴル人貴族には、漢詩を作り、蒙漢バイリンガルで、漢名を名のる人が19世紀中ごろに現れます。


ボルジギン姓のモンゴル人貴族は、「鮑」や「宝」などをボルジギンのイニシャルとして用いました。
今でも内モンゴルには「鮑」「宝」姓のモンゴル人がいますが、これは漢姓ではなく、モンゴル姓のイニシャルの漢字なのです。

今の内モンゴルのモンゴル人は、父称を用いる人と用いないで個人名だけの人、漢姓+モンゴル名の人、完全に漢名だけの人がいます。


モンゴル人が漢名を名のる経緯はいろいろで、皇帝に授かった人もいるし、
辛亥革命直後や文革時の少数民族が迫害されたときには、勝手に作って漢族を称した人もいて、さまざまです。