随分前に訪れた川口城跡
一度目は宮川野外活動センター横の脇道から
入山したものの大手道を見つけられずに断念
二度目は九電の高圧線の鉄塔が目印だとの
記載を見つけて鉄塔を保全する為に造られた
通路から東城跡まで辿り着きました
アルバムの編集の為に色んな書物を調べて
いるうちに東城跡の石碑が存在する事を知り
今回で三度目の訪問となります
宮川野外活動センターの方から敷地内に
立ち入る許可を得て登城を試みました
(応対してくださった方曰く、藪の中を歩くのは
マムシなどが怖いし、行った事が無いとの事で
撮った写真を見せたら凄く喜ばれました)
以前、宮川小学校があった場所
現在は宮川野外活動センターの横の脇道が
大手道に繋がります
初回は見つけられずに断念しましたが
プールの裏側を過ぎて直ぐ右手に大手道に
通じる道があり更に進むと城、中城、東城跡に
辿り着く事ができます
堀切①堀切②
更に堀切③
堀切④
中城跡の郭と堀切⑤
堀切⑤
堀切⑤
東城跡の段郭
段郭と堀切⑥
搦手と東城跡の石碑
東城跡の虎口と郭
堀切⑤の先端
堀切⑦
堀切⑦
土塁と大手道
宮川野外活動センターから約0.5km地点に
東城跡の石碑がある。
標高150m程度に主郭を置き主郭を含めて
3つの郭が存在。
3つの郭は堀切で仕切られ、堀切は堀切道を
含めて7つあった。
川口城跡
鹿児島市五ヶ別府町川口の「陣ヶ丘」と
呼ばれている所にあった。
東方の城壁は険しく北方には深い谷があり
下は永田川が流れている。
城跡には宮川小学校があったが移転して
その後は青少年野外活動センターとなり
キャンプなどの活動の場となっている。
川上城は城、中城、東城の3つに別れていた。
応永24年(1418)伊集院の領主伊集院頼久は
島津家8代領主島津久豊に背き、この城に神を
構えて戦ったが敗れて谷山城に逃げ去った。
今でも西側の山を「陣ヶ丘」と呼んでいる。
頼久軍の出城で敵軍が迫って来ると、太鼓を
叩いて味方に知らせたと言われている。
谷山の歴史と文化財より