「自己紹介がまだだったね。私は鬼倉正道だ。未来の父親だよ」
俺の両足をつかんで引きずりながら男が言った。抵抗したいが頭がガンガンして力が入らない。俺をどうする気だ。
やっぱりミクミクの親父か。見たことはなかったけどたぶん本物なんだろう。ミクミクが自殺して俺のとこに来たってことは、やっぱり俺を殺す気なのか。復讐に。信じられない。だって、それって犯罪じゃないか。でも現実に、ママは殺された。首を切られて。
「君のお母さんに最初は追い返されたんだけどね、君に渡したいものがあると言ったらすんなり開けてくれたよ。私はこういう交渉事は得意な方でね、大切なのは冷静さだよ。もう君に渡したよね、お母さんの首」
さっきママの生首は俺の顔に押しつけられ、口の中に血が少し入った。鉄っぽい味がして、俺は何度も唾を吐いた。生首はそのまま転がって、廊下に置き去りにされている。
「どうして私がわざわざ窓からお邪魔したかというとね。正直なところそんなに深い意味はないんだ。ただ、ちょっと君を驚かせてみたかっただけなんだ」
「なん……なんで……」
俺はなんとかそれだけ言えた。なんでこんなことをするんだ。俺をどうする気だ。
「んー。この辺でいいかな。コンセントが近いからね」
鬼倉の親父は俺をリビングまで引きずって、外から見えないようにサッシ戸のカーテンを閉めた。俺はなんとか立ち上がろうとしたが、親父は振り返りざまに俺の腹を蹴った。腹が破裂したかと思った。サッカーボールでも蹴るみたいな遠慮ない蹴り方だった。ひでえ。
俺が転がってうめいていると、親父は俺の左手をつかんで物凄い力でねじ曲げた。イデデデデ。左肩がゴギュッと鳴って、腕に力が入らなくなった。関節が外れたっぽい。よく漫画とかであるけど、自分がやられるとは思わなかった。親父はあっという間に俺の右肩も外してしまった。抵抗できなくする気だ。
更に親父は俺の背にケツを乗せ、左膝をつかんできた。太股を後ろに曲げられるいや曲がらねえってイダアアアッ。
ゴグンッとまた凄い音がした。股の関節って外れるのか。かなりムチャな外し方だったので肩の十倍も痛かった。
「やめ……助け……」
親父はさっさと俺の右足の関節も外してしまった。もう逃げることはできない。肩と股がズキズキうずく。でも俺は痛みより、これから大変なことになるという怖さばかりが強かった。この親父はきっと、とことんやるつもりだ。
俺は目一杯息を吸い、大声で叫ぶことにした。近所の人や通行人に聞こえたら様子を見に来たり通報したりしてくれるかもしれない。
「助けてえええ誰かギョフッ」
喉に強烈なチョップを食らって俺は息ができなくなった。喉が潰れたらどうするんだよ。息が……。
「さて、話を始めようか」
親父は俺を押し転がしてあおむけにした。
今の悲鳴は誰か聞いてくれたろうか。隣に住んでる田渕のじいさんには届いたろうか。でもあのじいさん最近ボケてきたし。俺の親父は会社だしこんな時間に帰ってはこない。新聞記者とか刑事とかは来てくれないのかよ。こんな時に。
ミクミクの親父はずっと薄笑いを浮かべていた。俺の親父よりちょっと若いくらいか。髪はパリッとした七三分けで、頭良さそうな、安いドラマに出てくるいかにもなエリートサラリーマンって顔だった。細い鼻なんかはミクミクに似てたけど、全体的にがっしりしていて根性がありそうだった。デパートの店員なんかがやりそうな固まった愛想笑いは、俺を馬鹿にしているようにも見える。ミクミクのその笑いはムカついて殴りたくなったけど、この親父の笑いは恐いものだった。
俺を見下ろす親父の目は、全く笑っていなかった。瞬きをせず、ビックリしてるみたいに見開いたままだ。瞳孔が完全に開ききっている。知ってるぞ。これは、頭のおかしい奴の目だ。
黒く塗り潰されたみたいな瞳の奥で、不気味なものが飛び出すチャンスを待っているような気がした。
「私の息子が自殺したのは知っているよね」
親父が言った。
「私は常々、自殺なんかする奴は馬鹿だと言ってきた。自殺するくらいなら、捨て身で敵をぶち殺すべきだとね。何年か前に中国で、いじめられっ子が体に爆弾を巻いていじめっ子達を道連れに自爆した話があったが、私は感心したな」
ということはやっぱり俺を殺すつもりか。俺がいじめてたって知ってんのか。やっぱりミクミクの奴が遺書に書いてたのか。畜生。チクりやがって。
俺はまだ息が苦しくて声も出せなかった。
「だから未来が首を吊ったことは、私はとても驚いたと同時にがっかりしたんだ。私の教育はあの子にはきちんと届いていなかったのだ、とね。しかも、女々しい遺書を机の上に残したりして、自分で復讐する力のない臆病者のような、他力本願なことを」
ああ、やっぱり遺書を書いてやがったんだ。俺の名前を書いてやがった。だからこの親父が来たんだ。
でも、息子のことを女々しいとか言ってるから俺のことはそんなに怒ってないのかも。そもそも俺はそんなにひどいことはしてないんだから。
親父は言った。
「まあしかし、未来はもう死んでしまったのだから、今更怒っても仕方がない。復讐は代わりに私がやってくれということなんだろう。未来は気の弱い子だった。これが未来にできる精一杯だったんだろう。なら私は父親としての務めを果たすべきだろう」
ああやっぱりやる気だ。親父の目がギラギラと光っている。なんでこんなことになっちまったんだ。
親父が聞いた。
「それで念のため、確認しておきたいのだが。大村翔太郎君。君は未来を、いじめていたのかね」
もしかすると、ここでうまく答えたら助かるかも。親父は身を屈め、瞬きせずに俺の顔を見つめている。俺はなんとか息を整えて答えた。
「そんなつもりじゃなかっ」
ゴヅン、といきなり殴られて首が横に向いた。最初の時と違って右頬で、刺さるような物凄い痛みだった。骨が折れたかもしれない。涙がどんどん出てくる。
親父はいつの間にか、右手にメリケンサックを填めていた。信じられないが、四十代のいかにもサラリーマンって親父が、本当にメリケンサックを填めてるんだ。
口の中に硬いものがある。歯が折れたみたいだ。
「私はいじめていたのかと聞いているんだよ。きちんと答えなさい」
親父は声だけは優しかった。
ちゃんと答えないと殺される。でもちゃんと答えても殺されるかも。心臓のドキドキが体中に広がっていって、痛みも何も包み込んでしまったみたいだった。
「いじめてたっていうか、一緒に遊んで……」
またパンチが来た。今度は真正面からで、口にまともに食らった。ゴウゥン、というショックが口と後頭部に来た。床にぶつかったんだ。
口の中に熱い血があふれてきて、俺は吐き出した。血と歯の欠片が幾つも出てきた。俺の歯が。前歯もムチャクチャだ。これからずっと入れ歯で生きていかないといけないのか。俺はまだ十七なのに。なんでこんなことに……。
「遺書に書いてあったが、君はことあるごとに未来を殴っていたそうだね。だからこれはそのお返しでもある」
親父はメリケンサックを外し、手の血をハンカチで拭いた。ああ、外してくれた。もう殴るのは終わりみたいだ。
俺の心を読んだみたいに、親父はニコリと笑った。
「翔太郎君、君はハンムラビ法典というのは聞いたことあるよね。『目には目を、歯には歯を』というあれだよ。私はね、罪と罰とはかくあるべしと思うんだ。罪を犯した者は、相応の罰を受けなければならない。ただ、抑止力として見るならば、しっぺ返しは重い方がいいんだ。倍返し、四倍返し、あるいは十倍返しでもいい」
俺は「助けて」と言おうとしたが声にならなかった。必死に首を振ってみる。涙が流れ続ける。手足は動かせないまま俺はイモムシみたいに転がっている。
「私はねえ、何でもきちんとしないと、気がすまない方なんだよ」
親父は言った。
ああ、やっぱり殺される。俺は殺されるんだ。親父の手が近づいて俺の喉にさわった。一瞬絞め殺されるかと思ったが、鋭い痛みが喉仏の下に潜り込んできた。息、が。悲鳴を上げようとしたら空気のもれる音がした。声が、出ない。
「念のため気管を切開しておいたよ。これ以上余計な大声を出されて人が来るのも困るからね。邪魔されずにきちんとやりたいんだ、私は」
親父は血のついたカッターナイフを持っていた。それで俺の喉を切ったのだ。息がそこからもれてるんだ。声が……。
親父がリビングから出ていった。まさかこのまま立ち去るなんてないだろうけれど、俺はちょっとそんなことを期待してしまった。
俺はベロで口の中を確認した。上の前歯が四本、下も三本折れてギザギザにふれる。右の奥歯も二本折れてる。他にもベロで押しただけでグラグラするのが何本もある。鉄の味が口の中にいつまでも染み出してくる。
もうこれ以上ひどい目にあいたくない。このままだときっと殺される。手足も関節を外されてるし、悲鳴を上げたくてももう声も出せない。
やはり親父は戻ってきた。段ボール箱を抱えている。
箱から、血みどろの金属部品がはみ出していた。何だよそれは。それで俺をどうする気だ。
「どこから始めようかね」
置いた段ボール箱と俺を交互に見て、親父は呟いた。
「物事には順序というものがある。小さなものから始め、重要なものは最後にすべきだ。きちんとするなら、いきなり心臓をえぐるのは間違っている。そう思うだろう」
やっぱりこの親父は俺を殺すつもりなんだ。その前に拷問する気だ。さっきの間に逃げるべきだった。イモムシみたいに胴体をくねらせたら這って進めたかもしれないのに。それがムリだったと分かっているのにどうしても考えてしまう。
「せっかく持ってきたんだ。一通り使ってみようか。まずはこれだ」
親父が箱から取り出したのはアイスピックだった。どこを刺すかは分からないが、俺を刺すことは間違いなかった。
「翔太郎君。君達は未来の手のひらや尻に画鋲を刺して遊んだそうじゃないか。裸足でわざと踏ませたりもしたそうだね」
「やってない」と言いたかったがやっぱり声は出なかったので、俺は泣きながらただ首を振った。もし声が出ていたらまた殴られたかもしれない。本当はやってたのだから。
アイスピックの先端が俺の顔に近づいてきた。目を狙ってるのか。俺の目を串刺しにする気なのか。
「心配はいらない。目は大切なものだ。こんなに早くえぐったりはしないよ。これからやることをきちんと見てもらいたいしね」
アイスピックが離れ、俺はホッとした。単に先延ばしになっただけだと分かっていても。こいつは必ずやるだろう。
親父は屈んで俺の左手を持った。抵抗したいが腕に力が入らない。いきなりチクッ、と来た。手の甲だ。いや手のひらだ。いや、アイスピックが手の甲から手のひらまで突き抜けたんだ。顔も歯もずっとうずいていたので、刺された痛みは意外に耐えられそうな感じだった。でも平気な顔をしていると更にひどいことをされそうなので、俺はうめいておいた。
だが次は人差し指を捕まれたと思ったら強烈なのが来た。指先が真っ二つに割られたみたいな凄い痛みが脳天まで突き抜けてきた。一瞬息が止まり、少しして俺は悲鳴を上げた。「ビュアアア」という血の混じった呼吸音にしかならなかった。
えぐられてる。爪と肉の間にアイスピックを刺されたんだ。拷問でこういうのが一番痛いと聞いたことがあるが、見た目のイメージとは全然違っていた。こんな痛みがこの世にあるのか。頭が爆発しそうだ。
「未来というのは私が名づけたんだ」
親父は淡々としゃべりながら俺の中指をつかんだ。嫌だ。必死に握り拳を作って抵抗したが、親父の力は物凄かった。また爪と肉の間を刺される。うああああ、あ、あ、あ。い、た、いんだよこの野郎。
「すばらしい未来に向かって歩んで欲しいという希望を込めてね。妻には『みらい』なんて女っぽい名前だと言われたが、最後は納得してくれたよ」
今度は薬指。いでえええええええ。畜生。畜生畜生畜生。
「それがこんなことになるとはねえ。未来という名前が君達にいじめられる原因になったのかな。君達のようなクズにとっては、きっかけなんて何でもいいのだろうがね」
小指。あああああ畜生畜生畜生畜生やめろこのクソ野郎呪い殺してやる絶対殺すぶち殺す殺す殺す。
人差し指から小指まで行ったからこれが終わりかと思ったのに、結局親父は俺の親指を取った。ああああああいてえええええええ。あまりの痛さに全身がブルブルと震えてくる。プビュー、ブビュー、と喉の穴から空気がもれる。
「では次に行こうか」
親父は相変わらず落ち着いた調子で段ボール箱をあさる。
取り出したのは四角い台の片端に、長い刃が取りつけられた道具だった。職員室で見たことがある。プリントの束なんかをまとめてバッサリ切る奴だ。少し曲がった刃は台と合わさってハサミみたいに紙を切る。
その台と刃は、ベットリと血がついていた。
「裁断機だ。ペーパーカッターとも言うね。十一年前に購入したドイツ製だ。紙以外にも色々切ってきたがガタつき一つ来ていない。私はこういうきちんとした道具が好きだな」
それでママの首を切ったのだ。紙を切る道具で人の首が切り落とせるのか。この親父なら意地でもやってのけるだろう。それで俺のどこを切るのか。
あああごめんなさい許して下さいもういじめたりしませんそんなつもりじゃなかったんです皆と気軽に遊んでただけなんですだって皆もやってるじゃないですかなんで俺ばっかこんな目にあうんですか不公平じゃないですかだからもうこれ以上は許して下さい何でもしますから切らないで下さい歯も折れたのにどうかこれ以上はなんで俺だけがこんな目にあわないといけないんだよ畜生あああ許して下さい。
親父は俺の右手をつかんで台に乗せた。
「手首がいいかね。そうすると、手術でつながる見込みはかなり薄いな。しかし指なら、良い医者に診せればつながるかもしれないよ」
もちろん君が生きていればだがね。そんなことを親父は言いそうな気がした。指も手首も嫌だ。切らないでくれ。
やっぱり親父は容赦なく、俺の指を力ずくで伸ばさせた。指の付け根が台の端に当たり、指を曲げたくても手の甲を押さえつけられてて動かせない。
もう一方の手で刃のレバーを握り、親父が俺の顔を見てニッコリ笑った。
そして力一杯レバーを下ろした。俺は自分の指を見なかった。ドギャリ、という硬い音がして衝撃だけが来た。拳で鉄板をぶん殴ったみたいな感触で、もしかしたら骨で止まったのかもしれないと思って見てみたら、やっぱり刃は完全に埋まっていた。
俺の指が。痛みがじりじりと大きくなってくる。付け根から先が熱湯に浸かったみたいに熱い。でももう切り落とされてるんだ。指四本だけと思ったら、親指の先も刃に隠れている。ああ、嫌だ、まさか親指も。俺は恐る恐る動かしてみた。親指の、先の関節部分でスッパリと切れていた。
俺の指が。右手の指がなくなった。利き手なのに。もう字も書けない。何も握れない。ちゃんと手術でつながるのか。
「大丈夫だ。ちゃんとつながるとも。きちんと保存しておけばね。鼻も耳もちゃんとつながるさ」
うああ、やめろ。やるのか。俺の鼻と耳も。やめてくれ。俺の顔が……。
親父が俺の鼻をつまんだ。チキ、チキ、チキ、とカッターナイフの刃を出す音がした。やめろ。俺は首を振って逃れようとするがやっぱり無駄だった。刃が鼻の下に、当たる。
ゾビ、ジュビ、ジビ、と、鋸を使うみたいに、刃が行ったり来たりしながら、俺の鼻を切っていった。熱さと同時に、わさびを食べたみたいなツーンとする感じ。もう体中が痛いので、これがどのくらい痛いのか分からなくなっている。
親父はなにやら鼻歌を歌いながら、俺の鼻を切り取って俺に見せた。血のにじむ、肉と軟骨の塊だった。自分のものとは思いたくなかったが俺の鼻に間違いない。俺の顔が。親父はさっさと俺の両耳を切り落としてしまった。鼻よりも簡単に切れた。
俺の顔はどうなってしまったんだろう。鏡を見るのが怖い。と思っていたら親父が段ボール箱から手鏡を出して、わざわざ俺に見せた。
「うむ。いい顔になったなあ、翔太郎君」
鏡に写った俺の顔は、ボコボコに腫れ上がって紫色になった、鼻のあったところに豚みたいな二つの縦穴の残った、死にかけの豚みたいになっていた。耳もない。目は充血して真っ赤で、目尻から血が出ていた。血の涙って本当にあるんだ。死にかけの豚みたいに怯えきった、情けない、目をしていた。
これは俺の顔じゃない。これは夢だ。いずれ覚める。きっと元通りだ。何も起こっちゃいない。ただの夢なんだ。ああ、でも、誰か早く助けに来てくれ。このままだと俺は……。
「そうだ、そうだ、ついでにこれも見てもらおうか」
親父はまた段ボール箱から新しい道具を取り出した。
それはミキサーだった。
おい、それをどうするつもりだよ。嘘だろ。だってちゃんとつながるって言ったじゃんか。まさか、だろ。そこまでするかよ。だって手術すればちゃんとつながるって……。
親父はミキサーの電源コードを部屋のコンセントにさし込んだ。上蓋を開け、俺に見せつけるようにしながら、俺の五本の指と鼻と、両耳を容器の中へ落とした。
「いやあ、残念だったね」
親父はミキサーのスイッチを入れた。
ああああああこの野郎この野郎。俺の……。
ジュビュビュビュー、と音を立てて俺の指と鼻と耳が容器の中で回転し、どんどん細切れになっていく。俺の指が。鼻が。耳が。もう絶対、元に戻らない。俺は一生このままなんだ。死ぬまで右手が使えない障害者として生きていかないといけないんだ。シリコンか何かの偽物か、誰かの死体から移植した他人の鼻と耳を使うことになるんだ。それかずっとマスクだ。俺の元の顔はなくなったんだ。もう女とつき合ったり結婚したりとかできないんだ。畜生、俺はまだ十七なのに。なんでこんな目に……。
涙がまたどんどんあふれてきた。もうどうにでもしてくれ。俺の人生はもう終わりだ。とっとと殺して、楽にしてくれよ。俺は投げやりな気分になっていた。
「では、次に行こうか」
親父はミキサーを止めてまた段ボールに手を突っ込んだ。もう駄目だと分かっていたがついミキサーの方を見てしまう。回転の止まった中身は、やっぱり赤いドロドロになっていた。
「君達は未来に根性焼きをしたそうだね。パンツを脱がせて尻にやっただけでなく、息子のペニスにまで煙草の火を押しつけたそうじゃないか」
ミクミクの奴、そのことも書いてやがったのか。嫌な予感がしてきた。もう死んでもいいと思っていたのに。
「未来の体は司法解剖中で、私が自分で火傷の痕を確かめることはできなかった。どちらにせよきちんとお返しはしておくべきだろうね。君の家にもあるだろうが、探す手間も省けるし、きちんとしたものを使いたいからね。最近は日本のメーカーでも中国製というのが多いが、これはれっきとした日本製だよ」
アイロンだった。親父はコンセントからミキサーのプラグを抜いてアイロンのをさした。目盛をいじっている。
根性焼きのお返しな訳か。でもそれでどこを焼くつもりだ。まさか……。
親父は俺のベルトを外して、ズボンをずり下ろした。そしてパンツも。嫌だ。それだけはやめてくれ。それだけは……。
「ずいぶん嫌そうな顔をしているね」
親父が言った。アイロンの底をチョイチョイと指先でさわって熱さを確かめている。
「股間を焼かれるのが怖いかね。しかし君は、同じことを未来にやってのけたんだよ。私はね、それを十倍にして返しているだけなんだ」
そんなつもりじゃなかったんだ。ちょっとしたおふざけだったんだ。俺だけじゃないんだタカシだって他の奴らだって一緒になって楽しんでたんだ俺はどっちかというと気が進まなかった方でそうだタカシが一番悪いんです俺は悪くないそもそもいじめられるような奴が悪いんですいやとにかくそこだけはやめて下さいお願いですお願いでうああああああああづうううううううううっ。
親父がアイロンを、俺の股間に押しつけた。ジューッ、という音がして、肉の焦げる嫌な匂いがただよってきた。鼻がないのに匂いはした。熱い熱い熱い。早くやめて離して離して下さい熱い熱い熱いったらこの野郎がああお願いです熱い俺の大事な……。
俺は身をくねらせてアイロンから離れようとしたが、親父はそれを追ってぐいぐい押しつけ続けた。三十秒くらいたっぷり焼いた後で、親父はやっとアイロンを離した。ベリッ、と嫌な音がした。
アイロンの底に赤黒いものがへばりついていた。俺の皮の一部だった。まだ煙を上げている。
俺はもう、自分の股間を見る勇気がなかった。もう終わりだ。俺の人生は完全に、終わった。
だが親父がまた段ボール箱に手を入れた時、俺は最悪よりもっと恐ろしいものがあることを知ったのだ。
「翔太郎君。君は、未来の肛門に、モップの柄をムリヤリ突っ込んだそうじゃあないか」
悪魔が言った。
「その大便のついた先を、未来に舐めさせたんだってね」
やっぱりそのことも書いてやがったのか。違う。違うんだ。俺のせいじゃない。やめてくれ。これ以上されたらもう……。
親父が手にしたのは一本のホウキだった。柄の長さは五十センチくらいで、俺達がミクミクのケツに突っ込んだモップより短い。いやモップをそんなに深く突っ込んだ訳じゃないけれど。
そのホウキの柄に、何十本も釘が打ち込んであった。釘バットじゃなくて釘ホウキだ。そうだよな、釘バットじゃあケツに入らないもんな。いやホウキでも入らないやめてくれ。親父が自分で作ったんだろう、それぞれの釘は柄を貫通して二、三センチくらい先端が飛び出していた。そんなものを突っ込まれたら内臓がグチャグチャに……。
やめろ。許して下さいお願いです助けて下さいどうかそれだけはお願いです。俺は必死に口をパクつかせたがやっぱり声にはならなかった。
親父が俺の足を強引に開く。イダダダ。外れた股の関節がゴジッとこすれる。
「未来。こんなクズどもにいじめられて、自殺までさせられて、辛かったろう」
ずっと薄笑いだった親父の顔が、ビクビクと痙攣するみたいに歪んでいった。あああああ。ああああああ。
「死ぬ前に、言ってくれれば良かったのに。未来。こんなクズども、お父さんがあっという間に皆殺しにしてあげたのに。未来。こんなクズどものためになあああああ」
親父の顔がクシャクシャに変形した。隠していたドロドロの中身が出てきて鬼の顔になった。鬼の声になった。一瞬俺は親父に食い殺されると思った。俺のせいじゃない俺のせいじゃないなんで俺がこんな目になんで俺がこんな目になんで俺が……。
親父が釘ホウキを引き構えた。やめて助けて。俺は体を反らせてケツを守ろうとした。自分の股間がちょっと見えた。真っ赤に焼けただれてどこがどうなってるのか分からなくなっていた。
親父が鬼の顔で俺の腹を殴った。痛えええ。体が曲がる。
「きちんとやるんだよ。きちんとなあああああああ」
親父が物凄い力で釘ホウキを突き込んだ。ビジブジッ、と肉の裂ける音がした。
俺のケツが爆発した。腹が爆発した。宇宙が爆発した。真っ白になった。
真っ白だ。世界が飛んだ。何も考えられない。
「そうだきちんとやるんだよ。倍返し四倍返し十倍返し、百倍返しだあああああ」
親父がホウキを何度も往復させる。グジビジブギと腹の中で音がする。飛んだ。全部飛んだ。へへへへへ。えへへへへへへ。
親父がホウキを引き抜いた。深呼吸して息を整え、また笑顔になって親父が言った。
「じゃあ、これを舐めてもらおうかな」
親父がホウキを見せた。
ホウキの柄は真っ赤になって、釘に血やらクソやら肉やらが絡みついていた。えへへへへ。うへへへへへ。いひひ。あひひひひ。
「舐めるんだ。さあ、きちんとな」
親父がホウキを逆手に持って振り上げた。俺の口に突っ込む気だ。きっと突き抜ける。それで全部終わるんだ。はへへへへへへ。
ガラスの割れる音がした。「やめろ。何をしている」という叫び声。男の声。サッシ戸の方。カーテンの隙間から人が覗いていた。警官だ。拳銃。
「やめろ。撃つぞ」
親父はそちらを見て、もう一度俺に向き直った。ホウキを振りかぶる。
ホウキが来た。俺は避けようとした。銃声。痛み。顎。
「ははははは。はははははは」
親父の笑い声。また銃声。足音。
俺の顔にホウキが突き立っていた。左頬と顎。俺は生きてるのだろうか。うへへへへへ。
俺は何も分からなくなった。