神通峡かいわいの昔話集 第22話 「七人衆の墓」 | 神通峡ふるさと創生物語ブログ1:「神通峡かいわいの昔話」・「集落ガイド」・「神通峡のわらべ歌」・「神通峡民話物語」等

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七人衆の墓  富山市猪谷

 

 

今から四百二十年前、永禄年間の頃、武田信玄と上杉謙信の争いがここ、細入谷にも広がり、飛越の武士たちもこの地を舞台にして戦いに明け暮れていました。

 

七、八年前まで、猪谷の国道線、池内さんの近くに小さなお墓が七つならんでいました。しかし、国道拡張のため、どこか(お寺へ)に移されたそうですが、不明です。

 

これは戦国の頃、落武者が手きずをうけ、ここまで逃れてきましたが、とうとう七人ともここ猪谷で死んでしまったので、この墓がたてられたのだと言い伝えられています。

 

何という武士かわかりませんが、「白屋筑前守秋貞」と、これにしたがう武士ではないかと言われています。

 

(猪谷小学校長 丸山 博) 

「官報ほそいり 昭和四八年九月五日号」より