「宴のあと」三島由紀夫
傑作である。
三島由紀夫の音楽に対する恐怖感はよく知られている。
身体中を支配されるという恐れ。
音楽は敵だとまでいう彼が、指揮者をした時に、「女性的だ」という。
すごく。わかる。
この彼のアンドロギュヌスが知られていない。
最後の作品の豊饒の海なんかは、まさにその世界。
ブッダ的という意味で、アンドロギュヌスなのだから。
まったく下記の資料のことを忘れていて、ぼんやり考えながら3度目の読書として、読んでいたけれども、これはもう圧倒的な三島由紀夫氏の文章のいわば創作料理に見事に昇華されているので、現実のモデルのつまらないゴシップことなど頭のどこにも浮かばなかった。やはり、20代の時にこの本を読んでも理解できないはずだと、今の自分は若い自分を思いやる。
(もともと、文学というものは本質的に、ゴシップがあるからこそ、面白いのだが)
ただ、女主人公「かづ」は、まさに、小林秀雄氏の言うところの、「女がよく書けている」という、今では誰も言わなくなり気にもしなくなった大切なことが十分に描かれていると思う。それは最初に読んだ時から、これだ、と思っていた。
まさに、これは「かづ」の緻密なデッサンと言えると思う。
(村上春樹氏や吉行淳之介氏も、自分の作品などをスケッチという言葉を使う。そのスケッチをさらに深く進化させてデッサンにする事が可能)
つねづね、小林秀雄氏との対談においても、三島由紀夫氏は、「バルザックが文学の理想」かもしれないというようなことも語っていたし、そんなことを思っていた時期もあったのか、下記の資料のキーン氏の文章などをあとで知り、読んでみると興味深くなるほどそうだなあと思った。
キーンさんは、ここまで、褒め称えている。
「ドナルド・キーンは、小説としての『宴のあと』の価値は「有名人をめぐるゴシップの面白さとは無関係である」と述べ、作者・三島は素材を巧みに用いて面白い小説を創出し、とりわけ、雪後庵の女将「福沢かづ」という「立体性ある人物」をつくるのに成功したと評している。そして、『宴のあと』により、三島は「19世紀フランス小説の手法」で書くことのできる能力を実証したとし、「かづ」は、「バルザックの中に登場しても場違いでない人物」であると評しながら、「近現代の日本文学の中に3次元のふくらみを持った人物がいかに少ないかを思うとき、これは刮目するに足る現象であろう」と解説している。」
・・・・・・この解説は、読み終わってから、見つけたのだが、知らなくても、
「かず」のイメージはよくたちあがってくること、間違いない。
「かず」が、生きているという実感、まさに、文学の中で彼女は永遠に生き続ける。
ふと、三島由紀夫のこんな言葉を思い出す。 文章読本の中の言葉です。
「チボーデは、小説の読者を2種類に分けております。ひとつは、レクトゥールであり、「普通読者」と訳され、他のひとつはリズールであり、「精読者」と訳されます。チボーデによれば、「小説のレクトゥールとは、小説と言えば何でも手当たり次第に読み、「趣味」という言葉の中に内包される内的・外的のいかなる要素によっても導かれない人」という定義をされます。新聞小説の読者の大半はこのレクトゥールであります。一方、リズールとは、「その人のために小説世界が実在するその人」であり、また「文学というものが仮の娯楽としてではなく本質的な目的として実在する世界の住人」であります。
リズールは食通や狩猟家や、その他の教養によって得られた趣味人の最高に位し、「いわば小説の生活者」と言われるべきものであって、ほんとうに小説の世界を実在するものとして生きて行くほど、小説を深く味わう読者のことであります。実はこの「文章読本」を、今まで、レクトゥールであったことに満足していた人を、リズールに導きたいと思って始めるのであります。」
三島由紀夫が、リズールとして、本を愛していたことは言うまでもない。
・・・・・・
いろいろな評論家が物語のあらすじを描き、政治と恋愛のことについて触れているので、私は自分のための記録としては、最後の章の「山崎」という人物からの選挙に敗れた「かづ」への手紙の場面の、その文章のおもしろさだけをここに記しておこう。
「かづは、木々を漏れる日光の縞の中を歩いて、中立の腰掛けへ行き、そこに腰を下ろして山崎の手紙を読んだ。」とあり、続いて。
・・・・
「思えば、あの選挙がなかったら、あなたは幸福を得られたかもしれず、野口氏も幸福であったかもしれません。しかし今にして思うのに、選挙が、あらゆる偽物の幸福を打ち砕き、野口氏もあなたも、裸の人間を見せあうことになったという点で、本当の意味で、不幸であったと言えないかもしれません。
小生も永いこと政治の泥沼にまみれ、むしろこの泥沼を愛してきましたが、そこては、汚濁が人間を洗い、偽善がなまなかな正直よりも、人間性を開顕し、悪徳が帰ってつかのまでも無力な信頼を回復し、・・・・ちょうど、洗い物を遠心分離機の脱水機に投ずると、あまりに早い回転のさなかに、今投じたシャツも下着も見えなくなってしまうように、我々が日頃、人間性と呼んでいるものがこの渦中で、たちまち、見えなくなってしまう、その痛烈な作用を愛します。それは必ずしも浄化ではありますまいが、忘れてよいものを忘れさせ、見失ってよいものを見失わせる、一種の無機的な陶酔を我々に及ぼすのです。こんなわけで、どんなに失敗し、どんなにひどい目に会おうが、私は一生政治を離れることができそうにはありません。」
妙なる感覚ではあるけれども、私はこの文章を読んでいるうちに、全体のなかではたいした比重をしめてはいないのかもしれないけれども、個人的に好きな文章だと思い、また、不思議な文章だとも思った。
三島由紀夫氏の天才はやはりこんなところにも現れていると思った。
現実的には小説は中央公論の連載であるので、売れなければいけない。
それでも、そのプレッシャーのなかに、彼の自在の、ほんとうにいいたい言葉を、ちらりと、
こんなところで見せている。
かつて、日光東照宮などでの大工達が、与えられた仕事のなかに、自分の存在をちらりと示すために、遊びの細工をしたようなものだろう。
そして、それがために、それがあるためにこそ、その作品全体がまた、大きく膨らんでいるというのも事実。
今の、芥川賞なんかでも、一回賞をとったらすぐに消えてしまう作家の多いことよ。
昔の作家はよく勉強した。
三島由紀夫しかり。親友の武田泰淳氏が、告別式で、「本当に刻苦勉励の人生、お疲れ様でした」とつぶやいたことは私ははっきり覚えている。
キモノ一つの描写にしても、こうだ。
・・・かづは藤鼠の江戸小紋の着物に、古代紫地に菊花菱の一本独鈷の帯を締め、錆種の帯留めに大粒の黒真珠をつけた。
なんと着ている女性の性格までもが、この一本独鈷の帯をはじめとして、古代紫、菊花菱、錆種というキーワードで、立ち上がってくるから不思議だ。
英訳するのが大変だと思い、原書にあたってみると、
kazu wore on this occation a smoll-patternd violetgray kimono with an obi of dark purple dyed in a single band of chrysanthemim flowers in lozenges. A large black pearl was set in her carnelian obi clasp.
確か、ドナルド・キーンさんの訳だと思ったが、どうだろうか?
大正昭和初期、そして、明治の文人は、キモノをよく愛し勉強していたなあと深く思う。
細部が生きると、全体の小説のなんと生きることか。
宴のあとは、不思議な政治小説である。
彼もひょっとして、長生きして、政治家にでもなってくれていたらなあ、日本ももっと良くなるなあ、そう個人的に思う。
人を見ると、良く考えもせずに、すぐ右だ左だと、レッテルを貼りたがる輩がいるが、アホらしいと思う。
自分が、信じたもののために、腹を斬る。
それがどういうことなのか、考えたこともないような人に、簡単に、レッテルなど貼ってもらいたくない、そう私は考えている。
三島由紀夫は読書について、こう書いている。
「私はなるたけ自分の好みや偏見を去って、あらゆる様式の文章の面白さを認め、あらゆる様式の文章の美しさに敏感でありたいと思います。」 三島由紀夫
◎資料。
有田八郎から訴えられた際に三島は『宴のあと』について、「私はこの作品については天地に恥じない気持ちを持っている」と主張し、「芸術作品としても、言論のせつどの点からも、コモンセンスの点からも、あらゆる点で私はこの作品に自信を持っている」と述べている。またプライバシー裁判においてなされた、三島による『宴のあと』の主題の説明は以下のようにまとめられている。
人間社会に一般的な制度である政治と人間に普遍的な恋愛とが政治の流れのなかでどのように展開し、変貌し、曲げられ、あるいは蝕まれるかという問題いわば政治と恋愛という主題をかねてから胸中に温めてきた。それは政治と人間的真実との相矛盾する局面が恋愛においてもっともよくあらわれると考え、その衝突にもっとも劇的なものが高揚されるところに着目したもので、1956年に戯曲「鹿鳴館」を創作した頃から小説としても展開したいと考えていた主題であった。(中略)
(有田八郎の)選挙に際し同夫人が人間的情念と真実をその愛情にこめ選挙運動に活動したにもかかわらず落選したこと、政治と恋愛の矛盾と相剋がついに離婚に至らしめたこと等は公知の事実となっていた。(中略)