音楽。
今や、それは現代人にとっての、道標。
教会で、音楽を聴いて、招かれた あるいは、 ふらりと寄った農民たちが失神したと言われる時代あり。
日本も同様だと思う。
アルゲリッチが、日本の能楽を見て、そのあまりの西洋音楽との違いに、また、驚愕したこともある。
音楽はリズムだけではないから。
旋律。
キー。
醸し出す雰囲気。スケールだけではないだろう。アジアの音楽の場合は。
世界の音楽が近くなった今。
日本の音楽家たちも、世界の音楽を耳にして、次なる次元の音楽を考えているに違いないと思う。
人間の非日常に喝を入れる音楽もあり。
人間の疲れを癒してくれる音楽あり。
人間の記憶の花束を空高く舞い上がらせる音楽あり。
小林秀雄がいうように、若き頃は、西洋の音楽に西洋の哲学西洋の文学。
しかしながら。
その土地土地から生まれた私たち。
日本という「場所」を離れて、私たちの魂はないと思う。
フランスに行ってこれは美味いというワインを日本で飲んでもイマイチな、わけ。
ドリカムにも、ユーミンにも、サザンにも、能楽の魂は流れる。 →気 間 音 けまね
やはり、彼らの作品もまた、西洋音楽とは別物。
歌舞伎はある意味、日本の現代病に犯されつつあるけれども。そして、それが歌舞伎という本質でもあるけれど。
能楽は、古来の日本そのもの。
最近の歌舞伎俳優の事件も歌舞伎だから起こる現代病か。
能楽ではあり得ない事件。
古来の日本そのものにこだわった、本居宣長が、生まれたわけ。
武満 徹が生まれたわけ。