開高健さんは、「一冊の本から一つの言葉」を見つければそれで良い。 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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最近、本を読んでいると、目がしょぼしょぼします。やはり年齢ですね。でも、

友達なんかに聞くと、活字が見えないと言っている友達もいますから、読めるだけでも、まだ

ありがたいと思っています。

 

昨日は一度売ってしまった、松岡正剛の「情報の歴史」をまた買い戻しました。

 

・・・

 

絵に漫画に楽譜に、読書に、目は大切です。

冬の間は、アトリエと地下の書庫はマイナスになりますから、雪降る外と同じ温度。でも、着込みさへすれば、マフラーもありますし。

 

地下で本を少し読んだり、画集を見たりと少し辛い季節となりました。

 

しかし。

 

 

開高健さんは、「一冊の本から一つの言葉」を見つければそれで良い。と言います。

 

 

瀬戸内晴美さんは、生涯一冊でも人々の記憶に残る作品がかければそれですごいこと。と言います。

 

 

確かに明治、大正、昭和の作家たち、流行作家たちはほぼ、みんな消えて行きました。

今でも、芥川賞を取っても、一回限りというのが普通。長く書いていく人は少ないです。

 

 

小林秀雄氏は言います、「作家になりたくて、本を読む。作家になれないとわかったら、もう本は読まない。これは一体、どういう了見なんだ。」

 

 

好きこそ、ものの上手なれと言います。

 

 

作品の源は、地位や金や名誉ではなくて、好きだから絵も音楽も小説も書くのではないでしょうか。!!!!

 

 

そしてその行為によって他人様に少しでも喜ばれ、少しでも、お金になって、

自分も作品を作ることが生きがいになってくる。・・・・・いいですね。^^

 

 

 

 

「ナイロビの蜂」

 

地下で昔の古本を少しチェックしていた時に見つけた本です。そして連想から映画のシーンを連想してみました。

好き嫌いのある映画ですが、今現代の世界の今を知ることは、脳に刺激をもらえますし、テレビでは

決して見ることのできないシーンが満載なので、何回も繰り返し見ては、平和ボケの自分に喝を入れることになります。

 

 

バカっぽい現象をテキストにして「考える力」をとりもどせ!!

と、大前研一氏は言う。「知の衰退」からいかに脱出するか?

月に一冊も本を読まない人がいます。

 

だったら漫画を読めばいいんです。

 

ダメなら映画を見ればいいんです。

 

五木寛之が言っとるように、1日一度は、泣くか、感動する。⇦  老化防止、ボケ防止。

 

 

 アメリカのリッチなパーティ、政治家のパーティに出ても、クラリネットを吹くほどのクラシック愛好家の彼は、昔は、クラシックなどの音楽の古典の教養は、コミュニケーションとして役にたったが、今はさほどでもないと書く。

 アメリカあたりでも、文学やクラシックが話題になることは少ないらしい。

 時代はそう変わりつつあるということか。・・・

 

 

 少し最近は人気は落ちたけれども。

 台湾や中国でも大前研一氏の本は数十万以上売れるというからまだまだ。

 

 

 個人的に言うと、私は「考える」ということは、小林秀雄氏や渡辺昇一氏から学んだが、彼らから比較するとこの大前氏は、軽い印象は受ける。

 しかしながら。

 全国、全世界を股にかける彼だからこその説得力もあって、そうなのかとも思う。

 

 

 

 その彼が21世紀の教養とは何かということで、書いているのが興味深い。

  彼がいろいろなところに出向き、たくさんのトップと話していると最近特に出てくる話題=このことを考えていないとのけものになってしまう話題は、下記のふたつらしい。

 

 

 

   1  環境問題 温暖化 炭素 水素 緑化など

   2  アフリカの問題全て 中国の進出の問題

 

 

 この地球を資源として商売をしたりしてもうけさせてもらっている以上は、恩も地球に返せということだろう。

 アフリカの方は、現地に夫婦ともども出かけて、貧困問題などの問題と向き合うということだ。

 

 

 

  小林秀雄氏は考えるということは、調べることではない、と言う。

  対峙する、つまり対するということが、考えるという古語の本質の意味と言う。

  かむかふ、と書くらしいが。(記憶違いならばスミマセン)

 

 

 

  渡辺昇一氏もまた、考えるということに重きを置いている。

  夜中に酒をちびちびやりながら、何時間でも仕事について考えているサラリーマンのトップなどを評価する。

  知識をただ獲得するだけの行為は実は考えることではないということ。

  鶏のように、さわがしくちょろちょろ餌をつつきまわすような似非インテリジェンス。

  雄大な空を大きな羽を広げて空想瞑想するようなイマジネーション全開のインテリジェンスを真の知恵=インテレクト。そのように、似非インテリジェンスと区別しています。

 

 

 

 

 彼の本を地下で、立ち読みしていて、再視聴しようと思い立ったDVD は 「ナイロビの蜂」と「すべては愛のために」!!!!

 

 

 

実際に、昨日、見て、思い出しました。二回見ると、また感想が違いますね。昨日チェックしました。

やはり新鮮ですね。

 

  エヴァンゲリオンも良し。  

  鬼滅も良し。

  キャッシュトラック最高。

  007も良し。

  「ナイロビの蜂」と「すべては愛のために」は、世界を知るための映画ですから。

  見たくない人が多いとは思います。しかし、興味深い。

  切り口がまた興味深い。

 

それに好き嫌いは、人それぞれ。

 

 

 興味のあるところが違うのでしょうね。

 

 

この「ナイロビの蜂」は最近見た映画のなかでは、異色でかなり深く印象に残りました。昨日は再視聴してまたまた考えさせられました。

 

 

 

 「シェルタリング・スカイ」も確かアフリカを舞台にしていたが、この「ナイロビの蜂」はまさにアフリカの現代の貧困地獄、飢餓地獄を描いている。

  コロナワクチンを善意で世界から送っても、打つ人が少なかったり、補完ができずに、廃棄しています。

  ものも大切ですが、人的な支援が必須なわけです。

 

 あと、「すべては愛のために」

すべては愛のために~Beyond Borders~ [DVD]/アンジェリーナ・ジョリー,クライヴ・オーウェン,テリー・ポロ

   この作品にもアフリカの国の貧困が出てくる。

 

 

  ここに今や、たくさんの大前氏の友だちやら知人らが、出かけている。

 

 

  というわけで、知の刺激にはなる一冊。

 

 

淀川長治氏が、「良い映画を見ていると人生が幸福になる」と書いていますが、「悪い映画を見ていると人生が不幸になる」とも言えそうで、少し怖くもなります。

しかしながら、人それぞれにとって、脳の一番本質的なところをジーンと刺激するのは、また違っていいのであって、それに、体調やら、その日の気分によっても、見た映画の感動は異なってきます。

 

 

 

小説の良いところは、読みたくなくなれば、ボイと文庫本を机や枕元に投げ出して、散歩にでかければいいですし、すこしずつ、何日にもわけて考えながら読む楽しみもあります。

 

 

 

でも、映画は、家族で見たり、友だちと見たりと、なかなかそう自由には見るわけには普通はいかないでしょう。

 

 

糸川氏などは、時間の有効活用として、多忙の日々、一時間のあいた時間に映画を一時間分見て、残りの半分の映画は、こんどはたとえば飛行機で着いた行き先で見るという具合に、映画の自由な見方を紹介していましたが、お金もかかりますし、みんなができるという映画鑑賞法ではありませんね。^^  だけれど、すごっく参考になりました。時間は金で買えない。時間の大切さです。

 

 

ともかく、

エチオピア、カンボジア、チェチェン、イギリスという地域を美しい映画の画面で映し出しています。

映画のテーマである、紛争そのものの残酷はともかく、たぶん一生足を踏み入れることのない場所をうまく切り取って映画にしてまとめています。

 

 

 

それにもう、「今の時代の空気」を切り取るためには、「単純さ」だけでは無理なのかもしれない。

それだけ紛争戦争の残虐さは、単純なる物語にはなりえない?

見て、考え込むだけ。

見て、驚愕する。

これらの映画群を見て、簡単にレヴューで点数などつける気にはなれない。・・・・

 

 

 

 

そんな場所に、サラは踏み込んで行く。・・・・

ニックへの尊敬と愛によって。

しかしながら、この映画の題名は、なんとかならないか?

beyond bordersで良いと思いますが。

だれもが怖がるこのbordersをこのサラは、超えて行く。

それにしてもアフリカのあのやせ衰えた子供のシーンの驚愕。

もう眼をそむけたくなるほど。ホンモノの子供をよく撮ったものだ。

 

 

 

 

あの自殺した「飢餓の子供と禿鷹」の写真家が撮った写真を連想させるシーン。

サラは母子を必死で助ける。

新聞やテレビでよくニュース紹介されるこれらの地域。

しかし、この映画一本見れば、リアルに想像が可能になる。

物語はさておいてよく惨状をまとめあげたものと感心しきり。

その画像はかなり強烈で人生のスパイスになる。

 

 

 

これでもう

くだらないことで弱音を吐きたくなるだろうことは間違いない。

 

 

 

 

日本は幸福だ。

なまぬるい日本人の危機意識。平和ボケ。

 

 

 

 

 

「ナイロビの蜂」 

この映画でも、サラのようにとてつもなく感受性が強くそして挫折してもへこたれない女としてのテッサという女性が出てきてやはり死んでいる。

彼女たちの前では、なんと無力なサラの旦那。

 

 

 

 

そして、テッサによって次第に本能としての男性の野生をとりもどすジャスティン。

このような反体制的な映画の欠点として、思想をおしつけるあまり、見ていて席をたちたくなるようなシネマもありますが、この二作は、人間社会、世界、組織、そんなものの裏社会の醜さをリアルに描きつつも、自然の美しさも讃えることを忘れていないので、一方的なおしつけにならずに、脳に情報をインプットできるのかもしれない。

 

 

 

 

  国連難民高等弁務官 緒方貞子。残念ながら逝ってしまいました。

  断食直訴  瀬戸内寂聴。残念ながら逝ってしまいました。

 

 

 

 男は「戦う意味」を求めるし、 おんなは「盲目的な生きる意志」そのものなのかもしれない。

 それでいいのだと思う。

 いや、あまりにも難しい問題だから簡単にはそう言えないのかもしれない。

 朝起きて、光のなかに神さまへの感謝を感じ、食事がきちんとでき、風呂やトイレがきちんと日々つかえ、好きな音楽を聞いたり好きな本をいつでも読め、気分がのれば少し散歩をしたり買い物をしたりできる今の日本の日常から見ると、それらを抛って、ボーダーを超えて行くこれらの「おんなたち」の生き方は突飛に見えるかもしれないが、一度、見ていて、それらを脳にインプットしておくと、普段の日本の日常の贅沢さに眼がくらむだけの、経験は味わえる。

  映画。

  もうひとつのわたしたちの人生。

  ひとつの苦労が皺をひとつふやすがごとく、脳に少しは皺をふやしてくれるかもしれない映画群。

  サラは、ニックによって心の奧の奧まで、震駭されるほどに影響される。

  ジャスティンは、テッサによって、心の奧の奧まで、やはり震駭されるほどに影響される。

  命と魂。

  命は確かに地球よりも重いのかもしれないが、それよりも重い魂を持つ人に影響されて

  境界線を超えて行く人達。

  それを人は愛と呼ぶのか?

 

 

 女子は一人でも、生命力の塊なのに、それが二人だと。!!!!!!!     キューブリックのシャイニングではないけれども、

 少し怖くなります。がははは^^   ❤️