「雨の中の噴水」    三島由紀夫   読書記録3 |   心のサプリ (絵のある生活) 

  心のサプリ (絵のある生活) 

画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
至高体験の刻を大切に
絵のある生活 を 広めたいです !!!

「雨の中の噴水」    三島由紀夫   読書記録

  この可愛らしく見えるコントが三島由紀夫は好きだという。

  リラダンのあの意地悪な「ヴィルジニーとボオル」の理想を求めて三島はこのコントを書いていますね。

  嫌われ者の栄光を欲し、残酷と俗悪さと詩がまじりあって全体を構成しているコント、彼の創作の秘密がかいまみえる小説だとも言えます。

  少年明夫は、少女 雅子に、「わかれよう」と言う言葉を言うことを夢見ていました。

  そして、彼はついに丸ビルの喫茶でその彼が一番心から欲する、青空が壊れるほどの言葉を言うのです。

  三島さんの文章を引用するならば、

 「弓から放たれた矢のように一直線に的をめがけて天かける、世界中でもっとも英雄的な、人間の中の人間、男のなかの男にだけ、口にすることを許されている秘符のような言葉」、すなわち、わかれよう!!

私はこの作品が好きで、一年に二三回は読んでいる。それでも、読み返す度に、新しいイメージが湧くところを発見して、驚く。特に、噴水の描写は彼が好んで、現地まで出かけて、まるで絵画を書くように「創作ノート」にデッサンしていく彼の姿が思い浮かびます。

 ほとんどの作家が今や、「たとえば喫茶店のような人工室内」のかたすみで、イマジネーションだけで唸りながら小説を書いている時代には、(もちろんそれはボルヘス的な意味合いでは作家には必須の才なのですが)、こんな手間ひまかけた三島由紀夫氏の現地に出向いてまでも書く文章デッサンなどは、古くさい行為なのでしょう。

 しかしながら、小林秀雄氏が言っているように、噴水の描写を文章で書くということと、一個のコップを筆で絵を描くということは、「しっかりモノを観察する」ということであり、本質においてはイコールなんですね。

 どちらも、「デッサン」です。

 少年は、その別れようという素晴らしい言葉を彼女に言った後に、満足するのですが、少女が泣き止まず、まるで思たい砂袋のように彼にまとわりついてくる。

 それで、少年はこの泣き止まぬ少女をもしも、雨の中の噴水につれていけば、その噴水に圧倒されて泣く事を止めるに違いないと思うわけですね。(ここにまさに俗悪と残酷と彼独特の詩があります)

 ところが、少女は最後には、こんなことを言う。

 少年はぼんやり歩きはじめた。

 「どこへ行くの」

 と、今度は傘の柄にしがみついたまま、白いプーツの歩を移して、少女が聞いた。

 「どこへって、そんなことは俺の勝手さ。さっき、はっきり言ったろう?」

 「何て?」

 と訊く少女の顔を、少年はぞっとして眺めたが、濡れそぼったその顔は、雨が涙のあとを押し流して、赤く潤んだ目に涙のなごりはあっても、声ももうふるえてはいなかった。

 「何て、だって? さっき、はっきり言ったじゃないか、別れよう、って」

 そのとき少年は、雨のなかを動いている少女の横顔のかげに、芝生のところどころに小さく物に拘ったように咲いている洋紅のさつきを見た。

 「へえ、そう言ったの? きこえなかったわ」

 と少女は普通の声で言った。

 少年は衝撃で倒れそうになったが、辛うじて二三歩あるくうちに、やっと抗弁が浮かんできて、吃りながら、こう言った。

 「だって・・・・それじゃあ、何だって泣いたんだ。おかしいじゃないか」

 少女はしばらく答えなかった。その濡れた小さな手は、なおも傘の柄にしっかりと 、とりついていた。

 「何となく涙がでちゃったの。理由なんてないわ」

 怒って、何か叫ぼうとした少年の声は、たちまち大きなくしゃみになって、このままでは風邪をひいてしまうと彼は思った。

 小林秀雄と三島由紀夫の有名な対談では、最後のところで、小林さんが三島さんに向って「あなたの小説は詩ですな」と言う。

 三島由紀夫はその時に、バルザックのような小説を書きたいとつねづね書いていたので、この敬愛する評論家からそう言われたショックは隠せないように私には思われたが、もともと、三島由紀夫の作品は「詩」が本質であるように私には思われますね。

 いちいち、表象のまわりをくどくかきつらねることよりも、物の本質をズバリ、ある意味ではせっかちに、見つけ出す事が得意な三島さんは、それを人生にも当てはめてしまいましたね。

 (しかし。それくらいに当時の世の中は、経済だけの日本になりつつありました。礼儀も、敬いも、道徳も、英霊に対する哀悼も、理想も夢も何もないただのガツガツした欲しい欲しい欲しいの悪式資本主義の経済だけの阿呆国。)

・・・・・

 そういう彼のユーモラスな、言葉に対する詩的な偏愛、俗悪な「男」に対する美意識、女の自然に対する無意識の恐怖が満ち満ちており、この作品はいつでも私を勇気づけてくれます。

 でも、そんな三島さんでも、金太郎はアリスに負けると、やっぱりわかっていたんですね。

 女のこの言葉、「何となく涙がでちゃったの。理由なんてないわ」、こんな言葉を少女の時から

 吐くことをたくましく学習してしまう女に、虚栄で生きている男が、かなうはずがないじゃありません か。

 sns大はやりで、他人にすぐレッテルを貼り付ける時代。

 全ては回転して、陰は陽になり、陽は陰になります。

それの繰り返し。その中で、オリンピックのアスリートみたいに

 病気やケガや人間関係に負けずに突き進みたいものです。