じいちゃんもいっしょに貝になろう |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
至高体験の刻を大切に
絵のある生活 を 広めたいです !!!

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沈黙の星空を見上げ、凍り付くような空気とともに、今夜もまたはかない記憶の時間は過ぎ去っていこうとしております。

嫌なことも忘れ、傷ついたこころを癒しながら、好きな音楽をききながら静かな眠りへとみずからを誘いたいと感じております。



on the corner は、マイルスディビスの最高傑作だと思います。真の意味で、ジャズでもなくロックでもなく下手をすると音楽でもないような、マニュアルまったく無視の前人未到のマイルスの大傑作だと思っております。

いつも、かなり、ひどく疲れた時に私が選ぶ曲ですね。

今週はほんとうに疲れました。
イベントの後ということもあるのですが、なかなか、人生思うとうりにいかないことが多いために、疲れは倍増するのかと思われます。

太宰治の本を列車の中で、ぺらぺら。でも、集中力がわきませんでした。

このところ書いているテーマの男と女の問題はほんとうに深いですネ。

いろいろな方にコメントをいただきまして、感謝しております。

以前NHKのテレビで、「なぜ男と女のsexがあるのか」という特集が組まれておりました。

なかなか面白い番組でずっとのめりこんだのですが、その結果は皆さんがご存じのとうり、「sexつまり性がひとつよりもふたつあった方が、つまり、複雑な方がより厳しい環境に適応し生き延びていくための子孫を残せるから」というようなものだったと記憶しております。

つまり、男と女のふたつの性のからみがあったほうが、単性生殖よりも、適応に強い種を残せる可能性が強いということなんでしょうネ。

ということは、怒られるかもしれませんが、一人で暮らしてらくちん、私はひとりで子供はいらないという今はやりの人々は、適応に対して弱い種と言えるのかもしれませんネ。

まあ、これだけ文明が発達してきているのですから、人は皆自由に生きればいいのですが、種の伝承という考え方だけからすると、そのような見方もあるということですね。

もちろん、結婚したいのにできないという人もあり、したはいいが、長続きせずという人もおり、はたまた、ずーと飽きずに結婚生活を続けても大丈夫という人もおり、人類は多種多様であります。

母と娘のきずな。
こんな話をまた、私はこころの中に沈殿させております。

あるエッセイストの話ですが。

母親の死に接して、もちろん悲しかったが、それなりに妹と葬式を終えて、だんだんと母親のことを考えるようになってきていた。

葬式のときは、人は皆儀式のことに頭が一杯で、三島が言ったようにそれは死はひとつの手続きなのであります。

時間は経ち、秋が来て冬がきました。エッセイストは、子供を産み、平和に暮らしていたらしい。
子供の育児に追われ、自分の仕事もままならぬほどで、ストレスもたまっていたと思われます。

そんなある日、妹が死んだ母親のカセットテープを持ってきました。

そのカセットテープには何が入っているか、わからなかったのですが、妹は「こわいからお姉ちゃんが聞いて」と自分からは聴こうとはしなかったんですネ。
それで、しょうがないから、長女の彼女は、そのカセットテープをラジカセに入れて、聞いたらしいんです。

すると、そこには、自分が幼稚園ぐらいの時に、童謡を歌ったものを母親が録音していたらしいんですネ。

おうまのおやこはなかよしこよし・・・だかなんだか、とにかく、可愛い声で一生懸命にそのカセットテープの少女は必死に歌っていたらしいんです。

そして、エッセイストの女性はここで、大声をあげて泣きました。

泣いて泣いて、体から一滴の水がなくなるまで、泣いたというんです。

要は、母親が死んだことがその時点で初めて、「実感」できたんですネ。
なぜならば、自分が今必死に子供を育てているその苦しみ楽しみと同じことを母親が自分にしてくれていたということを発見したからです。

肌で、母親の自分に対する愛情を理屈抜きにからだ全体で感じ取ったんでしょうね。

そして、泣いたあと、また普通の生活にもどったと書いてあります。


これと似た話が、私の好きな養老さんのエッセイにもあります。
彼の父親が亡くなった時に、まったく、実感がなかったと言うんです。
そして、悲しいけれど、さほど涙もなく、普通の生活にもどった養老さん、
それから10年ほど経って、生活を自分でするようになって、満員電車で通勤していた時のこと、
突然父親が死んだことが「実感」されたというんです。

「親父」とこころに叫び、彼は、そこで初めて大泣きしたと言います。


葬式の時には、まだ、死が実感されていないんですネ。
そして実感されていないということは、まだまだ、父親は心の中で死んでいないということです。
そして、十二分に社会で働けるようになり、ふと、親父のことの死が圧倒的な強さで
襲ってくるのが実感されたということですネ。



人の魂はめぐりめぐっていくんです。

金子光晴はこんな詩を書いております。

 「若葉のうた」

 若葉よ。
 来年になったら海へいこう。
 そして、じいちゃんもいっしょに貝になろう。


 

若葉とは、お孫さんの名前ですネ。可愛いですネ。
おじいちゃんとお孫さんが、抱き合いながら、ひとつの貝になりきろうなんて、どこか
なまめかしいニュアンスもあって、
めぐりめぐる、時間の輪廻さへも感じることのできる大好きな詩です。