坂の上の雲は誰もが知っている読んだことが一度はある名作だと思うので、再度また今回読み直している私の感想その1。
司馬遼太郎さんにしても大宅さんにしてもミステリー界の重鎮とされた松本清張にしても、資料の使い方に興味がある。ダリは美術館に行くときに一つの部屋--おおよそ100枚は絵があろうか、を一瞬でかけぬけたという。それと同じように上記の三人特に司馬さんは、「読んだ」という行為ではなくてもはや「写真にとる」ように頭の中にイメージを入れていった、ということでしかあの作品の構成や組み立ては想像できない。さらに言うと俯瞰でなければあれだけの登場人物の書き分けはできない。まさに「地図記憶思考」なのだと思う。
次に興味をそそられるのが戦争体験である。本質をついた言は体験が少しでもなければ書けないのではないか、そう感じている。このあたりも調べたい。
どこかの町が町おこしのためにこの名作を利用して立ち上がったら、またまた例の似非市民の皆さんが「戦争賛美の小説だ」と反対しているとか。
絶対に他国が自国日本を襲わないという仮説が100パーセント成り立つのであれば、平和運動のかけ声にも意味があるかもしれないが、自分だけ安全運転してればいいんだなんていうのは真のドライバーではないだろう。どこからか飛び出してくる車に対してもサバイバルをして家族や友人・乗り合わせた人を守りきるという発想がなければ、どこか、貧相で子供じみた感じがする。