『自我は罪を愛の欠如としては知覚せず、積極的な攻撃の行為として知覚する。』
と、イエスは言う
自我は罪意識・罪悪感を兄弟に投影して
兄弟を攻撃し、返す刀で兄弟から攻撃されて更に罪悪感が強化される
そうやって気付かれずに生き延びるのが自我だと彼は言いたいのだと思う
「ひと皮剥けば地獄世界」っていう私の思い込みから逃れるためには
「この世界の誰もが罪人。私以外は!」と思い込ませることで
罪からの逃避が叶い、攻撃が罪からの解放だと自我は思い込ませる
そしてその攻撃がまた罪の意識を深めることにつながっていくのにもかかわらず・・・
これが今までお馴染みの私の世界
「早う間違いに気付きなされ~」という救いの言葉は一見恐ろしく思えるのかもしれない
偽善者を装って兄弟の罪状を並べ立てることは途轍もない快感だ
今でもそれが止んだわけではないけれど、
それが(罪の意識が作り出した世界からの)解放にはつながらないと分かった今
愛の欠如っていう私の間違った思い込みを
あなたが演じてくれて初めて私はそれに気付き
それを訂正してもらえることにも気が付いた
罪悪という自我のアイデアを
贖罪(本来無垢な私たちに罪はないしその罪は幻想)という聖霊のアイデアに
変えていこうとしている今、
目の前には実践の機会という世界が開けている
今今が本番
ありがとうございます