あの日キミと一緒に観た映画。僕はよく覚えているよ。


当時流行っていた話題作でシリーズの最新作だったから、僕たちは数日前からその映画についてばかり話していたね。前作がどうだったとか、主演の俳優がどうだとか。まるで他の話題が付け入る隙をつくらないように。


映画館はキミと僕よりもきっと少し年上のカップルでいっぱいだった。僕はキミを連れ、そんな大人たちの仲間入りを果たしたような気持ちをどこかで感じていた。


脚本、俳優、映像美、音楽とそのすべてが評判な映画だったけれど、僕の感想はといえばキミのことばかりだった。


僕がどう感じたかよりも、キミがどこで涙を流していたか。どこで笑っていたか。そして、いつの間にか触れていたキミの手の温もり。それが映画の感想だ。


その映画はその後、数々の映画賞に輝いた。

僕はその授賞を映画の中身についてはまるで知らないままに、それでもそれが妥当だと満足気に噛みしめていた。

何一つ変わらぬまま 永遠に時が止まればいいと
そういうんじゃない 一年後のキミは一つ年を取ればいい
そう 僕はキミを愛し続ける
十年後のキミも 二十年後のキミも ずっと

近づけば近づくほどに 願ったようにはキミに近づけない
分かり合えたつもりでも 気がつけばすれ違いの方が多くなっていた
一緒にいるはずなのに ねえ どうしてだろう

むしろ近くにいたいと願っていた遠い二人ほど 気持ちは限りなく一つだった
会えない寂しさより 再会の喜びが勝っていた

会うたびにキミの魅力をまた一つと知った
あの頃の方が キミについてをより確かに知っていたに違いない

出会った頃のまま 何一つ変わらぬまま 永遠に時が止まればいいと
でも そういうんじゃない キミはこの先もキミであればいい
だからキミよ 一年後は一年の年を取り 十年後には十の年を取ればいい
だから神よ もう一度キミの時間を進めておくれ

キミをこれほどまでに近くに感じるのは キミとこれほどまでに遠く離れているから
なんて悲しいよ 悔しいよ 切ないよ

だからどうかもう一度 僕と同じ時間を生きておくれ
そしてもう二度と 変わらない永遠になんてならないでおくれ

何一つ変わらぬまま 永遠に時が止まればいいと
そういうんじゃない 一年後のキミは一つ年を取ればいい
そう 僕はキミを愛し続けるから
十年後のキミも 二十年後のキミも ずっと




期待以上にうまくいったから、少し長めの休暇を遠慮なく取ることにした。来期に向けたプロジェクトも軌道に乗ったようだから、あとはチームメンバーに任せておけばいい。少しの間、仕事を休むことにしよう。


そうして僕は今日という休日に、本当に久しぶりに散歩に出かけることにした。


特に行き先は決めなかった。初めは市内にある総合公園にでも行ってみようかと思ったが、雲行きが怪しかったのでそれは止めにした。とにかく太陽の光を浴びて歩きたいと思った。持ち物はスマートフォンと自宅の鍵。他には何も持たなかった。本当はね、スマートフォンも置いて出かけたかったんだ。でも、さすがに緊急時に連絡が取れないとなると周囲に迷惑をかけるからね。


自宅を出て川沿いを歩く。ほんの数分間歩くだけで汗が滲む。雲行きは怪しかったけれど、外へ出ると概ね晴れ間に当たった。太陽の光が心地良い。屋内で冷房にあたっているのも快適だけれど、時にはこうして季節を体感したくなる。


恐らく車では幾度も通った道だろうけれど、こうして歩いてみると初めて通る道のように感じる。意識して視線を向けなければありふれた景色に過ぎなかった場所だ。けれど、意識をするだけで印象に残る。へえ、こんな場所もあるんだ、ってね。


しばらく歩いていると上着は汗でびっしょりに。普段は起こらないことだ。若い頃は身体づくりのためにジョギングもしたし、泳ぎに行ったりもした。それが今では仕事の移動以外に身体を動かすことなんて滅多にない。汗でビショビショになったけれど、今日はそれも心地よかった。


何より、時間の流れ方がいいよね。仕事をしていると隙間時間にできることを組み入れて生産性を向上させるところだけれど、今日は行き先も決めず、とにかく歩くだけ。正直に言うと、歩き初めてしばらくは居心地の悪さを感じたよ。何ていうのかな、時間を奪われる感覚っていうのかな。こうしてタスクを決めずに歩いている時間に、きっと多くのことが出来るんだろうってね。でも、それもそのしばらくを越えてからは気にならなくなった。脇を走る車がどこかへと急いで走り去って行ったが、僕は悠然と目の前の道を歩く。忙しそうな道に出たら方向を変え、時間がゆっくり流れる道へと進む。そんな散歩だ。


家に戻りシャワーを浴び、僕はずいぶんと軽くなった体と気持ちに満足している。また散歩をしようと思う。今度は車を走らせてどこか知らない街に出てみたいと思う。新しい街をのんびり歩いてみようと思う。


シドニー・ポワチエは言った。

「危険を冒して前へ進もうとしない人、未知の世界を旅しようとしない人には、人生は、ごくわずかな景色しか見せてくれないんだよ」

おはよう。一日の始まりだね。

人生には一日だって不要な日はない。

「楽しみにしていた旅行は明日からだから、今日は無駄に過ごしてしまって良い」

そのように思ったことはないはずだ。その通り、僕たちは分かっている。人生に不要な日なんてないってことを。

それはさておき、

『もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当にやりたいことだろうか?』

そんなことを言った人がいる。ステキな言葉だと思う。とても勇気になる言葉だと思う。

『もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当にやりたいことだろうか?』

今思えば、きっとどうでもいいようなことがきっかけで始まったケンカだった。些細なことが原因だったはずだ。やがて仲直りをするだろうけれど、そんなことのためにキミと過ごせるはずの数日間を仲直りするまで会話もなく無駄に過ごしてしまうのは不本意だ。意地をはらずに僕から声をかけよう。

多分ね、

「何がゴメン?ただゴメンだけじゃ反省してないってことじゃん!」

そう言うと思うんだ。キミは決して強い人じゃないだろうけど、僕に対しては気の強さを発揮するところがあるから。

でも、それに対しては腹を立てないようにしよう。早く仲直りをして今日一日を楽しく過ごしたい、おいしいものでも食べに行こうって誘ってみよう。

未来はどうなるか分からない。今僕が想像する通りにはならず、途方に暮れることになるかも知れない。それでも未来を諦めている限り、僕はいつまでもキミのいない現在に留まり続けるような気がする。

だから。

おはよう。ごめんね?




キミの姿を探してしまう。ここにいるはずがないことは分かっているけれど。


少しくらい背が違ったって、キミの好みそうなファッションを見かけると確かめたくなる。ふとした時に横顔が見える。魅力的な人だけれど、キミじゃない。分かってはいたけれど。


僕は行き場所を持たないままに、この街を行き来する。行うべきことを行うためだけに然るべき場所へ向かい、それを終えると再び体を休めるためだけに然るべき場所へ戻るのだ。その繰り返し。それを繰り返すことで得られることにはそれ以上の価値はない。つまり、僕がどれほど献身的にそれに力を尽くそうとも、それは僕にそれ以上の価値を与えてくれることはなく、僕はこれまでもそうであったようにこれからも何ら満たされることはなく、そうして何一つ変わらずに生きていくのだろう。


行くべき場所は分かっている。そう思う。分かってはいるけれど、僕はそこに向かって進んでいくことができないだけなのだ。行くべき場所に向かうことは僕に満たされた何かを与えてくれるかも知れない。けれど、それは同時に僕が得られることの一方で、決して簡単に見過ごしてはしまえないだろう喪失ももたらすことであろう。何かを得るために何かを失うことは世の常であるが、失うことを恐れずに行動できるほど僕は強い人間ではない。だから僕は頭では分かっていながら、キミのいるはずのないこの街で、キミの姿を探すのだろう。既に過去と呼ばなければならないが、それでも確実にキミが存在したこの街で。


また無意識に気をとられる。キミを思わせる何かに。