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震災のことが風化されないために、手立ては無いのか


そんな私をギクリとさせた記事


19日の朝日新聞に
「千年後の命 津波から守る」の見出し


(新聞記事より)
「千年後の命のために今できること」はーー。東日本大震災で壊滅的被害を受けた宮城県女川町の中学生たちが考え、実現に向けて動き始めた。全員が津波の猛威を目に焼きつけている。被害を最小限にする対策を考案し、町内外で協力を呼びかける。


記事によると
昨年4月、女川第一中学の社会の授業で阿部一彦教諭が新入生たちに
「小学校の社会科で学んだことを生かし、ふるさとに何ができるか考えよう」と言い、一年生2クラス66人は町の地理や歴史を学びながら、津波被害について話し合った。


生徒の皆さんは辛い記憶や厳しい生活のなかで話し合い、考え続けたことだろう。


一中に間借りしている二中の生徒も加わって
3つの津波対策を須田町長と町議12人に提案した

1.絆を深める
2.高台へ避難できる町づくり
3.記録に残す


提案するまでに2年生全員で町民にアンケートを実施した
倒壊ビルのことも尋ねた
81人が保存を
219人が解体を望んでいた



震災前、町内各地に1933年の昭和三陸津波の石碑があった


しかし、「今後どうしたいか」という作文に
「石碑を思い出して逃げた人はほとんどいない。どうすれば、みんなの記憶に残せるか」と考えた生徒は「広島の原爆ドームのように残したい」と書いた




町に提案したのは今年の11月27日



二中の生徒・委員が、
「悔しい 口で伝えたら、千年後は話が変わっているかも。千年後も変わらない建物を残して伝えたい」


この発言で議論に火がついた



「見るのは嫌」
「残すにはお金もかかる」
「命を守るためなら、お金をかけてもいい」

教諭が「お金はどうするの」

「東京の修学旅行で協力を呼びかける」

すると教諭は
「東京で遊ばないの」


沈黙ののち
「東京は大人になればいつでも行ける。今しかできないことを大事にしたい」



こうした経緯があったようだ



記事の最後は

生徒たちの姿を見守る阿部教諭の目は真っ赤になっていた.「津波のことを考えるのは、みんな、つらいよね……。でも究極の狙いは千年後。『66人のおかげで俺は助かった。あの人も助かった』と思ってもらいたい。今は、そのためのスタートです」



私は テレビの
"あの日 わたしは" を録画して見ている


毎回、辛い体験を伝えて下さる


私は今の生活を続けていたら
多分津波の怖さ、辛さは体験しないと思う


来年、何度Kスタに行けるか分からないけれど
行ったときだけでも、震災のことを考えたい


女川にも行きたい


女川の生徒さんたちの生活の場を肌で感じたい


頑張ろう、大人!!


教育の力
教師の力
家庭も同じ


色々なことを考えさせられた