8月3日入院生活は暇だ。本当にやることがない。リハビリもやりすぎたらダメなんだそう。疲れちゃうしね。寝ようにも寝たで夜寝れなくなっちゃうから寝れないし。本当に退屈だーーー。




8月4日明日は転院の日つまり家族に約1ヶ月ぶりに会えるってことだ。コロナ禍で面会謝絶でずっと会えなかった。だけど転院先の病院は週1で2人までなら面会できるらしいからこの病院よりも緩いから楽しみだ。



8月5日今日は転院の日久しぶりに両親に会って思わず眼にあついものが。ちょっと涙を流しちゃったかも。この病院でもやっぱり面会謝絶だった。リハビリ期間は約3ヶ月だそう。コロナ禍じゃなきゃこんな風に面会できないなんてことなかったのに次会えるのは、3ヶ月になりそう。残念。

それでは医師が来て入院の期間を伝えますと現れた医師は、まさかの院長にびっくりしました。院長が担当医師ってあり得るんだと初めて解ったが違うらしい。

そして名前付きの車椅子に装具も貸し出しありのうえに専用装具師が週2回来てくれるらしい。これがリハビリ病院。もっとリハビリ頑張らなくちゃってさらに強く思った1日だった。


8月6日初日の夜は廊下の電気がついたままで明るくてなかなか寝付けなかった。

今日は前の病院の時よりもリハビリで長い距離を4点杖の装具ありだけど歩いた。ほとんどベッド生活が続いているので左足も体力が落ちているもようだと気づいた。左足の体力もつけないといけないなと思った。



日付飛びます。8月8日、僕は2人部屋に入院してるんだけど同室の人は、高校生の男の子らしい。あと2週間くらいで退院だそうです。ちゃんと話しもしてないし、名前も読み方がどちらか解らない。挨拶すらしていないけど。ONE PIECEを1巻から最新巻までを退院までに読破出来そうだとリハビリの人という会話が聞こえてきた。まだ15巻を読んでる途中らしいのに入院中てやっぱり暇なんだ。高校生だととくに退屈だろうと思った。



8月9日、尿が出ない。出そうでたまっている感じなのに尿が出ない。朝して昼になって5時間経つのに尿が出なかったのだ。もともと1時間おきにトイレに行くくらい貧尿だった僕は約2時間おきにトイレに行くが尿が出なかったのは、心配になってしまいました。だけどもうちょっとよく水分をとるように言われてちょっと安心しました。尿関係の病気じゃなくて一安心です。



8月10日

良く考えたら入院してから感謝することが増えたと思う。トイレにすら自分で行けない僕は、行く度に「ありがとう」の言葉を言っているし、食事の後も「ありがとう」食後の歯をみがいた後も「ありがとう」リハビリの後にも「ありがとう」。1日で「ありがとう」を何回言っているのか気になるけど今は、記憶力も低下しているので数を覚えておく自信がないので無理。ただ「ありがとう」今はそれしか言えない。何時の日にか元気な元の姿で支えてくれた全ての人に恩返し出来たらいいなって思う。




7月30日

今日は病院内にある売店に助手さんと呼ばれるおばちゃんに車椅子を押してもらい行きました。アップルジュースを飲みたくて買いに行ったのですが目とまったプッチンプリンに思わず反応して買ってしまいました。病院飯しか食べてなかったからプッチンプリンの旨さときたらたまらない。幸せの一時でした。


元々普段から1時間程度でトイレに行く程の頻尿だった俺はトイレに行くのにも看護師を呼ばないといけない状況でもやっぱり変わらずトイレに行きたくなる。1時間程度で看護師を呼ぶことになんだか申し訳なく思う。「ごめんまたトイレ」って言ったらその看護師は「尿意は感じるものだから」と言ってくれた。そう言えば昨日リハビリステーションの女性人が言ってた「確か尿道管抜いたあとで尿意が感じることが出来なかっただよね?それだと管で尿を抜くことになる。だけどそれだと膀胱炎や何かのリスクが高くなる。それよりも尿意を感じることが出来ることを喜ばないと。」って言われたんだ。医療に関わる人って病気のリスクよりも頻尿の方を選ぶのかな?俺は 、頻尿でトイレに行く回数が増えるもの嫌だなと思った。



今日は7月31日は、土曜日だからリハビリの時間が無いので自主リハビリ。流石に立つことは、出来ないけど座ったりすることは出来るから何とか考えてリハビリすることになる。

昨日、入院してから初めて上司にLINEした。職場のみんなが気にして心配してくれているんだって解って嬉しくって少しほろりと涙が………。

感極まって泣きそうになっちゃた。

みんなに少しでも早く会いたいからもっとリハビリ頑張ろうって思った。




7月が終わり8月1日

今日は、朝から腹がたった。同室のおっさんが朝方とはいえ消灯時間中にライトを着けたのだ。数分だったら俺も我慢しただろう。しかし20分だそれも2日連続で。それに真夜中にたまにパソコンのチャットの着信音もする。スマホは、マナーモードなのにパソコンは、OKなの?そこで看護師を呼んだ。その瞬間慌てたようにライト消すおっさん。看護師に「消灯時間にライトをつけるのは止めて下さい。」と怒られたおっさん。そのごもバタバタと何かしてパソコンのウィンドウ画面の光がこちらを照らしていてもう少し寝よと思っていたけど結局寝られなかった。そんな時に看護師がやってきておっさんが俺に向かって怒り始めた。「ぐちゃぐちゃと咳したりうるさい。」看護師「なんなら個室に変わりますか?そういえばもうすぐ退院ですね。」「うん、数日なら我慢出来る。」とおっさん。それを聞いて俺キレる。「こっちは数日だってヤダ部屋変えてくれ。」「満床に近いから無理。」と看護師。そんな前向かいの部屋の斜め向こ側が空いている。それに気づいた看護師が「あちらに移りますか?」と問うてきた。「お願いします。」さっそくお願いした俺。「ただいまは無理なのでお昼になります。」とのこと。

1時間後、お部屋ので動くことが出来ないとのこと。まあ、おっさん2日後に退院らしいし俺も4日後に転院だし2晩くらいなら騒がし人がいる部屋よりもいいか?って思えた。部屋移動ならず。残念。

また今日もリハビリの時間が無いので自主リハビリ。ただ同室の人達が(点滴している人も含めて)みんな自分の足で廊下を歩き 回っているのを見ていると羨ましく思う。自分も早く自分の足で歩き回りたい。そのためには、もっとリハビリ頑張らなくちゃって思った。




8月2日今日は、ズボンとオムツを自分で下ろすことが出来た。何と机無しの状況で、まだ拙く転けそうで看護師が見ている必要があるけどね。

言語障害よりも記憶障害の方がショックだった。まさかの、アイウエオ順が言えなかった。ナ行は言えるがハ行へ繋がらなかった。アカサタナは、覚えていたのでハ行を言った後次のマ行にまた繋がらなかった。まさかと思い出そうとしたが解らなかったのでまたアカサタナで思い出して言ったが次はヤユヨに繋がらないかった。ついさっきアカサタナで最後まで言ったのに忘れて思い出せないなんて。もうその時点で凄いショックだった。

男性看護師に右手のリハビリマッサージのやり方を教わった。右手の腱筋を軽く手首から肘にかけて触ってあげるといいらしい。ほかっておくと硬くなってしまうらしいとのことだそうだ。


2021年7月7日俺の日常は、終わった。

午前3時前俺は、ただ歯を磨いていた。

突然頭が混乱、身体は突然は軸を無くした様になってしまった。

誰も起きていない夜中。

混乱する中で何とかしなければならない。

数メートルはれている一番下の弟の部屋まで、必要になって踠きながらいった。 

始めの数分は気づいてもらえず。しかし何とか気付てもらおうと必死になり何とか起きてもらおうと叫んだ。 

流石に状況がただ事ではないと気付て起きた弟。

しかし、どうしたらいいか解らず。

弟は、あたふたしてとりあえず、離れで寝ている親に電話をした。

しばらくして両親が起きて奥屋にやって来た。

混乱した頭で俺は速く医者を求めた。

しかし、呂律が回らない俺。

弟も両親もどうしたらいいか解らず。

何とか理解しようと思う3人。

父親が大丈夫か?と問いかけてきた

俺は大丈夫じゃあないと頷いた。

しかし、要領を得ずな父親。

救急車必要かと誰かが言った。

この辺りの事は、曖昧で誰が言ったか解らない。

気づけば救急車に乗っていて病院に着いていた。

印象に残っているのは父親に「当分の開いた会えなくなる」と言われたこと。

これはコロナウイルス感染症による影響で面会謝絶と言うことである。

だけども俺には、何故?嫌だとう思いだけだった。

その思いとは裏腹に俺の意識は、途絶えた。

気づいた時には数時間後だった。

右半身不随全てが終わった瞬間だった。



1日目、2日目集中治療室寝て過ごした。

3日目一般病棟に移った。しかし寝て過ごした。

話したい言葉が出てこない。伝えたい言葉が思い出せなかったのはショックだった。

4日目5日目は土日なので暇をもて余した。

6日目この日から看護学生の娘が俺に着いた。

可愛娘だった。

俺に着いている時間はそれど長くないけどね。

看護士目指している未来ある若者と人生のどん底の俺。

看護士に言われ何となく受けたがキラキラ輝いていて正直初日は疎ましく思ったいた。

どうせすぐに期間は、終わる。



7日目7月13日看護学生の子が今日も来た。

何となく一生懸命な看護学生の子を見てだんだん解ってきた。

そして俺は、人生の絶望を卑下するのはやめてもっと前向きに生きていこうと自分を変えよと思ったのだ。

リハビリを頑張ろうという決断に至らしめたのはその学生の子のおかげだ。



日付飛びます7月20日看護学生の子の最後日になっていた。最初はどうせすぐにいなくなると思っていたけど今はあっという間だった。本当に短いと思っている。学生の子は最後に笑顔で「これからもリハビリ頑張ってください。」と励ましの言葉と共にお別れの挨拶して去って行った。


翌日、鼻水がたまって右鼻で息が出来なくて苦しい。何とかして欲しかった。

7月今日鼻水苦しいしかも世の中四連休日まじで何として欲しい



日付飛びます。7月26日リハビリの時右手がわずかに動くことを教えられた。まだ肘が少しだけしかもゆっくり動く程度だけど確実に自分の意思で動くこと喜んだ。

そのことは、逆で「担当医は毎日朝患者に会いにくる。」と言った午前中の看護師に腹がったった。  

実は担当医は朝から手術で来なかったのだ。

その後、何度も担当医に話しがあることを午後の看護師に告げたが担当医が現れたのは夕方だった。実にむかつく💢。

担当医に話しこは、以上の3点【1つ目鼻水が苦しいので耳鼻科の先生に診て欲しい。2つ目ざい尿感が残るので泌尿器科の先生に話しがしたい。3つ目今まで行かなかった痔の肛門科の先生に進行具合を診て欲しい】

因みに何日目か忘れたけど尿道の管を抜いている。

許可がでたのは、1つ目と3つ目だけだった。2つ目は尿道の管を抜いて何日目かの時自分で尿意が感じることが出来なかったことで泌尿器科の先生に診てもらっているからだった。



翌日、担当医師が朝に来てくれて「耳鼻科の予約は明日になった。今日は外科だけなります。」と言われた。実はこの入院した病院には肛門科は、無いけど外科で診てくれるらしい。

同日、リハビリで右足に補助具をつけた状態で左手で支えながらだけど補助の人なしで歩けた。凄く嬉しい😆。

転院の日付が決まったらしい来週8月5日とのこと。まだ車椅子が必要なので自宅の車では行くことが難しらしく車椅子対応のタクシーを呼ぶことになるらしい。

今日、何年もリハビリを頑張っている話しをテレビで見た。その人は話すことすら困難な状態で全身不随状態しかしリハビリを頑張って介助なしで短い距離なら歩ける程度に回復した。

それを見て全身不随状態より自分はまだ右半身不随だけですんでまだマシだ自分もリハビリ頑張っていこうと思った。




7月28日

この日は、午前中からリハビリ、お風呂、耳鼻科、昼食と立て続けになってしまった😵💧。

身体が疲れてしまった。また昼食が1センチサイズになってとろみのあるお茶や味噌汁が普通になってお粥から御飯になった。だけど御飯だけは、左手だけでは、かなり食べにくかったのでお粥に戻してもらえるように看護師に頼んでおいた。

午後のリハビリで右足に装具を着けて4点足の杖を使って歩くことが出来た。そんな感じだけど自分の足で歩けることがこれ程嬉しいとは、思いもしなかった。もっとリハビリして歩けるように成りたいので今後もリハビリ頑張るぞオー❗️❗️


29日前日より長い距離歩けた。昨日より今日へ、今日より明日へ、一歩ずつ一歩小さな一歩だけど確実に回復に向かっていることが嬉しい。また右手が不自由だからオムツとパジャマのズボンを下げるのと上げるのを看護師にやってもらっていたけど手前に補助用の机があれば上げることが出来た。まだ下げることは無理だけど出来ることが確実に増えていることも嬉しい。