2021年7月7日俺の日常は、終わった。

午前3時前俺は、ただ歯を磨いていた。

突然頭が混乱、身体は突然は軸を無くした様になってしまった。

誰も起きていない夜中。

混乱する中で何とかしなければならない。

数メートルはれている一番下の弟の部屋まで、必要になって踠きながらいった。 

始めの数分は気づいてもらえず。しかし何とか気付てもらおうと必死になり何とか起きてもらおうと叫んだ。 

流石に状況がただ事ではないと気付て起きた弟。

しかし、どうしたらいいか解らず。

弟は、あたふたしてとりあえず、離れで寝ている親に電話をした。

しばらくして両親が起きて奥屋にやって来た。

混乱した頭で俺は速く医者を求めた。

しかし、呂律が回らない俺。

弟も両親もどうしたらいいか解らず。

何とか理解しようと思う3人。

父親が大丈夫か?と問いかけてきた

俺は大丈夫じゃあないと頷いた。

しかし、要領を得ずな父親。

救急車必要かと誰かが言った。

この辺りの事は、曖昧で誰が言ったか解らない。

気づけば救急車に乗っていて病院に着いていた。

印象に残っているのは父親に「当分の開いた会えなくなる」と言われたこと。

これはコロナウイルス感染症による影響で面会謝絶と言うことである。

だけども俺には、何故?嫌だとう思いだけだった。

その思いとは裏腹に俺の意識は、途絶えた。

気づいた時には数時間後だった。

右半身不随全てが終わった瞬間だった。



1日目、2日目集中治療室寝て過ごした。

3日目一般病棟に移った。しかし寝て過ごした。

話したい言葉が出てこない。伝えたい言葉が思い出せなかったのはショックだった。

4日目5日目は土日なので暇をもて余した。

6日目この日から看護学生の娘が俺に着いた。

可愛娘だった。

俺に着いている時間はそれど長くないけどね。

看護士目指している未来ある若者と人生のどん底の俺。

看護士に言われ何となく受けたがキラキラ輝いていて正直初日は疎ましく思ったいた。

どうせすぐに期間は、終わる。



7日目7月13日看護学生の子が今日も来た。

何となく一生懸命な看護学生の子を見てだんだん解ってきた。

そして俺は、人生の絶望を卑下するのはやめてもっと前向きに生きていこうと自分を変えよと思ったのだ。

リハビリを頑張ろうという決断に至らしめたのはその学生の子のおかげだ。



日付飛びます7月20日看護学生の子の最後日になっていた。最初はどうせすぐにいなくなると思っていたけど今はあっという間だった。本当に短いと思っている。学生の子は最後に笑顔で「これからもリハビリ頑張ってください。」と励ましの言葉と共にお別れの挨拶して去って行った。


翌日、鼻水がたまって右鼻で息が出来なくて苦しい。何とかして欲しかった。

7月今日鼻水苦しいしかも世の中四連休日まじで何として欲しい



日付飛びます。7月26日リハビリの時右手がわずかに動くことを教えられた。まだ肘が少しだけしかもゆっくり動く程度だけど確実に自分の意思で動くこと喜んだ。

そのことは、逆で「担当医は毎日朝患者に会いにくる。」と言った午前中の看護師に腹がったった。  

実は担当医は朝から手術で来なかったのだ。

その後、何度も担当医に話しがあることを午後の看護師に告げたが担当医が現れたのは夕方だった。実にむかつく💢。

担当医に話しこは、以上の3点【1つ目鼻水が苦しいので耳鼻科の先生に診て欲しい。2つ目ざい尿感が残るので泌尿器科の先生に話しがしたい。3つ目今まで行かなかった痔の肛門科の先生に進行具合を診て欲しい】

因みに何日目か忘れたけど尿道の管を抜いている。

許可がでたのは、1つ目と3つ目だけだった。2つ目は尿道の管を抜いて何日目かの時自分で尿意が感じることが出来なかったことで泌尿器科の先生に診てもらっているからだった。



翌日、担当医師が朝に来てくれて「耳鼻科の予約は明日になった。今日は外科だけなります。」と言われた。実はこの入院した病院には肛門科は、無いけど外科で診てくれるらしい。

同日、リハビリで右足に補助具をつけた状態で左手で支えながらだけど補助の人なしで歩けた。凄く嬉しい😆。

転院の日付が決まったらしい来週8月5日とのこと。まだ車椅子が必要なので自宅の車では行くことが難しらしく車椅子対応のタクシーを呼ぶことになるらしい。

今日、何年もリハビリを頑張っている話しをテレビで見た。その人は話すことすら困難な状態で全身不随状態しかしリハビリを頑張って介助なしで短い距離なら歩ける程度に回復した。

それを見て全身不随状態より自分はまだ右半身不随だけですんでまだマシだ自分もリハビリ頑張っていこうと思った。




7月28日

この日は、午前中からリハビリ、お風呂、耳鼻科、昼食と立て続けになってしまった😵💧。

身体が疲れてしまった。また昼食が1センチサイズになってとろみのあるお茶や味噌汁が普通になってお粥から御飯になった。だけど御飯だけは、左手だけでは、かなり食べにくかったのでお粥に戻してもらえるように看護師に頼んでおいた。

午後のリハビリで右足に装具を着けて4点足の杖を使って歩くことが出来た。そんな感じだけど自分の足で歩けることがこれ程嬉しいとは、思いもしなかった。もっとリハビリして歩けるように成りたいので今後もリハビリ頑張るぞオー❗️❗️


29日前日より長い距離歩けた。昨日より今日へ、今日より明日へ、一歩ずつ一歩小さな一歩だけど確実に回復に向かっていることが嬉しい。また右手が不自由だからオムツとパジャマのズボンを下げるのと上げるのを看護師にやってもらっていたけど手前に補助用の机があれば上げることが出来た。まだ下げることは無理だけど出来ることが確実に増えていることも嬉しい。