中央道高速バスで昼神温泉へ | ハンター湘南の旅ブログ

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6月15日の記録、つづきです

 

名鉄バスターミナルから、中央道経由、飯田行きに乗車

信南交通は多分初の乗車

 

9時発の便は数少ない昼神温泉経由

窓側最後の1席をゲット(キャンセル分と思われた)

 

だが、残念なことに、災害のため温泉街を通らない迂回ルートでの運行だった

代わりに昼神温泉口にあたる駒場に停車とのこと

道理で、ネットでいくらやっても取れなかったんだ、その先の飯田までなら空席が出たのに。

前夜、窓口に出向いて事の真相を知った次第。

 

トップバッターで車内へ

 

ほぼ満席で、出発

バスセンターへのアプローチ道路は、幼稚園の時、新幹線車内から見て、21世紀の都市像を想像され、まるでドラえもんの未来世界の印象だったなあ~

今やレトロ感も感じるが。

 

すぐに名古屋の都市高速へ

 

名古屋城は見逃したが、市役所・県庁はよく見えた

 

都市高速から名神道へ入り、すぐに小牧JCTから中央道へ

最初の停留所が桃花台、乗降ゼロ。て言うか、ここで下車可能なのは驚きで、信南交通で愛知県内の通勤も可能。

ピーチライナーの跡地はどうなったのだろう

 

多治見インター付近では工事の車線規制があり、しばらく渋滞が続いた。

こちらとしては駒場で時間を持て余すからむしろ好都合だが。

 

臨時の対面通行区間で下り線を逆走

これは貴重?

 

まるでヨーロッパの右側通行のノリで進む

 

中央道馬籠に停車、確か下車客があった

 

実質的には神坂PAで、馬籠へは徒歩圏内。

神坂地区は越県合併で長野県から岐阜県中津川市の一部になった稀有なエリアだが、平成になって旧山口村がこれに続いている。

 

そして、約8kmの恵那山トンネルに入った

昭和49年、中央道全体としては比較的早く開通した、並行する国道は無く、冬季は飯田線以外での交通手段が無かった伊那谷にとっては一大エポックだった。

翌年に名古屋への高速バスが開通した。

 

昭和50年代前半はまだ急行「伊那」が残り、名古屋~飯田間は、約4時間15分、一方、当時の高速バスは、都市高速が一部未整備であったが、同区間を約2時間40分

勝負は歴然としていて、昭和58年、急行「伊那」は廃止された。

 

トンネルを出て、本来降りるはずの園原ICを通過し、

 

30分ぐらい遅れて、11時頃、駒場(中央道昼神温泉)に到着

ここで下車したのは2人だけだった。

 

さて、次に乗るバスは、坂を下った国道を12時に出る路線バスで、かなり時間がある

 

バス停は「駒場」だが、地元では「こまば」と「こまんば」が混在

結局、どっちも正解らしい

 

パーキングにはコンビニがあった。

 

ここで昼飯。

長野県に入って「きしめん」かよ

 

30分PAで過ごしてから、阿智町の中心部を散歩

 

旧伊那街道に路線バス(信南交通)が通っている

 

なかなかいい雰囲気だが、妻籠や馬籠のように観光客はいない

 

昔の郵便局を保存

現役の郵便局は国道153号沿いにあり

 

バス停名は「局前」

神奈中のような停留所名

 

阿智町内のコミュニティバスもあるらしい(バス停の時刻と一致しないが)

 

飯田行きのバスは土日は本数が少なく、観光利用より地元の通学や通院の利用がメインだろう

特に朝は10分間隔のダイヤで、飯田高校か飯田風越高校を経由する。

 

そして、飯田駅行きのバスがやって来た

すぐ先の曽山入口始発。

昼神温泉方面もバスがあるが、土日は1日2本しかなく、温泉街への往復は最初から断念。

案の定、車内は空に近い状態。

 

料金は初乗り100円で、しばらくして200円になり、完全にコミュニティバス的な運賃。

実際、信南交通は自治体からの委託で広域バスとして運転しているのだった。

 

阿智高校前で、30人ぐらいのジャージ集団、阿智ゃー

 

まあ、土日としては貴重なお客さんだ。

河岸段丘でアップダウンが激しいから自転車利用は少なく、バスが利用されているのはいいことだ。

 

30分ぐらいアップダウンを繰り返し、飯田線の駅がある切石でまとまった下車あり

 

30分ぐらい揺られて、飯田駅前に着いた。300円は安い。

ここで1時間30分の大休止。

 

(つづく)

 

(0時過ぎて眠い、今日はここまで。あと1回続きます)