先週の九州旅行の清書と言うか、補足です。
順番がごちゃごちゃですいませんが。
8月5日(金)
自宅を5時前に出て、羽田空港6:20初のスカイマークで福岡空港へ
機内はほぼ満席で、滑走路で突然引き返すトラブルが発生したが、5分後にやり直し、無事離陸。
異常を示すランプが点灯したとのことだが、何が起こったのかは不明。
筆者推測では、燃料の積み過ぎで、わずかな重量オーバーで、やり直しのタキシング中に消化して正常になったのか?
離陸は遅れたが、福岡の着陸は10分ほど早く、駐機場の空き待ちで5分ほど待機してから、8時20分頃到着。
空港ターミナルからは博多の中心街の他、九州の主要都市への高速バスが多く発着。
そのなかで、もっともマイナーと思われる、佐谷ゆきの西鉄バスに乗車。
志免・須惠方面の住民の足と言った路線。
10分遅れて、博多中心部からバスはやってきた。
予想通り、がら空きのバスだったが、志免町域に入ったバス停で、制服やジャージの中学生が大量乗車してきたのは驚いた。
志免町は博多のベッドタウンとして人口が急増、人口密度は九州内ではトップクラスで、都会の趣きだが、町域が南北に長いので、中学校までかなり遠い地域が存在するのだった。
志免町の中心部に入り、中学生は下車し、私は郵便局の近くのバス停で下車。
ちょうど9時で、3389局目に旅行貯金を済ませた。
勝田線は昭和60年3月31日限りで廃止された。
周囲は博多への通勤圏で人口は多いのに、廃止は大変悔やまれる。
何せ、国鉄時代、日中に8時間も列車を運転しない体たらくぶりでは100%バスに乗ってしまうだろう。
博多まで頻繁運転すれば、香椎線や甘木鉄道並みに15~20分毎に列車が走るほど活況を呈したに違いない。
モノレールでもいいから、廃線跡に鉄道を復活してくれ~
石炭の積み出しで広い構内は道路によって分断されていた。
さて、次に、炭鉱跡に向かって、猛暑の中を歩く。
すると、新興住宅街の中に、忽然とそれが見えて来た。
昭和39年、東海道新幹線の開通と入れ替わりに、炭鉱としての役割を終えた。
もともとは海軍の炭鉱だったが、戦後、国鉄に引き継がれ、蒸気機関車の燃料の供給源として機能した。
廃坑後、半世紀が過ぎて、半ば朽ち果てて、不気味な姿をさらしている。
崩落の危険があるので、周囲には、同心円状に柵が張り目ぐらされ、
「ポケモンGO」による立ち入りを禁止する看板が最近設置されたようで、昭和と平成が混在。
夜間には櫓がライトアップされているそうだが、さぞかし不気味だろう。
今後も生き証人として残してほしい産業遺産だが、維持するのも大変だ。
18きっぷに日付を入れたかったが、残念ながら無人化されたようだ。
まずは、終点の宇美まで乗ってみる
「アクアライナー」色のディーゼルカー
これはいいね。
吹奏楽や楽器経験者は、思わず反応?
宇美八幡宮の最寄り駅で、社殿風の駅舎になっていた。
近くには宇美商業高校があり、列車通学者は多いようだ。
ここでようやく朝飯にして、慌ただしく引き返して、長者原で篠栗線に乗り換え。
篠栗線はもともと盲腸線の炭鉱路線だったが、飯塚方面に延長され、福岡~飯塚・直方方面の大動脈となった。
さらに電化され「福北ゆたか線」という、しっくりこない愛称名がつけられた。
駅名標をみると、「糟屋郡粕屋町」と訂正された跡があり、これは納得。
プロの出版社も、よく「粕屋郡」と間違える。
しかし、隣の駅名は
「はるまち」(原町)の訂正前はが「はままち」とは、こはいかに!
中国か韓国辺りに発注したのか?
香椎線の国鉄型ディーゼルカーとのギャップが激しい。
さて、行き違い待ちで3分ほど遅れながら、峠を越えて飯塚市内に入った。
後藤寺線に乗り換えるべく、キハ30が見えた駅で下車。
20余り時間があるので、郵便局へ行こうかと思ったら、地図と道路が全く違っている。
古い建物ばかりで、再開発されたわけでもない。
郵便局も見当たらない。
仕方なく、駅へ戻ってみて、一気に血の気が引いた。
新飯塚だと思い込んでいた!
先ほどのキハ30は「原田線」だったのか
ああどうしよう・・・後藤寺線は1時間に1本しかないし・・・
(つづく)