岸田首相、これで旧統一教会関係の被害者が救えるの? -霊感商法しか対策しないのかい?- | 野良猫の目

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8月29日の報道1930(BSTBS)の録画を昨夜見ました。

第一印象は、「キシダぁ~、本当にやる気あんのかよぉ」でした。

 

 引っかかったのは消費者庁有識者会議での河野大臣の次の一言。

消費者庁が所管する法令の中で、どのような対応ができるのか、境界を定めずに自由にご議論を頂きたいというふうに思っております。」

 

これを聞いて「(壷とか、印鑑などの)霊感商法しかやんないのかよ。信者を脅して献金させるのはお咎めなしかよ。」と腹を立てました。何のことはない「境界を定めずに自由に」と言っても、最初から「消費者庁が所管する法令の中で」と大枠を決めちゃっているのですから。

これでは、先祖解怨とかナントカで多額の寄付を強要する“恐怖型献金”は最初から議論の対象外ということではないですか。

キャスターの松原耕二氏やコメンテーターの堤伸輔氏、立憲民主党の長妻昭氏、そして検討会の中では弁護士の紀藤正樹先生などが、このことに疑問を持っていた様子で、宗教法人法など視点からも議論すべきである旨を発言していました。

今後、岸田首相は、このような指摘にどう答えていくのでしょうか。なにか腰の引けたものを感じるのですが。

 

 

私は創価学会しか身近に見てはいませんでしたが、信者が疑問を持てば「それは貴方の信心が足りないから」と言い、止(や)めると言えば「折角ここまで徳を積んできた(=おカネを払ってきた)のにもったいない。これからよ。」って。何が「これからよ」なのか分かりませんが、そう言った一面だけをとらえれば(備考欄)、統一協会も創価学会と同じじゃないかな、との印象を持っています。

 

旧統一協会の問題を突けば突くほど、創価学会と公明党の関係もクローズアップされ、現政権に都合の悪いことになるのかも知れませんね、きっと。そうすれば、かつて私の父がやっていたような(今もやっているのかどうかは知りませんが…)学会員が自分の自動車を使って近所の人を投票所に送迎して、その車の中で公明党の候補に投票をお願いする、というやり方も問題視されるでしょう。こうなってくると政治の問題となります。

 

 

宗教団体への寄付・献金の報道を聞いているうちに、20代のころ、浄土真宗のご住職の方との雑談で教えていただいた話の要旨を思い出しました。。

 

「喜捨」というのは「喜んで捨てる」と書きます。誰も捨てた物には思いを残さないものです。

だから、「これだけ喜捨したのだから…」と見返りを期待したり、「俺の収めたカネはどう使われた」とかなら、それは“喜捨”ではないのです。

 

その人が喜んで持って行けるだけのものをお寺に持って行けばよい、ということでしょか。

この「喜捨」という考え方、好きです。

 

 

(備考)

「そう言った一面だけ」というのは、「寄付(献金)を続けさせようという働きかけ」のことを言っています。「寄付(献金)の動機付け」という面から見れば、私が報道内容から知った統一協会のものと、過去に私が接した創価学会の人から聞かされたものとは、全く違うものだとの印象を受けています。

この点は個人的には非常に興味をもっていますが、活字に出来るほど情報を持っているわけでもなく、頭の中も整理されていません。