リスクを自分持ちで働く「ギグワーカー」 -これはニコヨンより酷い?-  | 野良猫の目

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毎日新聞のサイトで「スマホアプリで仕事を渡り歩く「ギグワーカー」…本業にすると“落とし穴”も」の記事を読んで、子供の頃の田町駅の光景が甦ってきました。

 

○ これは、現代のニコヨンだ!

私が子供のころの田町駅は、慶応大学側の三田口と、東京港側の芝浦口では全く光景が違っていました。芝浦口前の道路には、毎朝、男たちが集まり、そこに「手配師」呼ばれる屈強な男がトラックで乗り付けます。この手配師が体の丈夫そうな男に声を掛けて荷台に載せ、埠頭の方へ連れて行くのです。

こうして“トラック組”は一日の港湾の荷役作業などに就くのですが、仕事を得られなかった人たちは、駅前の道路(改札口を背にして左側)にズラリと並んだ店に入って立ち飲みをするのです。大人達は彼等を「アブレ」と呼んでいました。そして、夕方になると今度は一日の稼ぎを手にした男達が、それらの店で酒を飲みます。

芝浦口に集まるこういった日雇いの男たちを、大人達は「ニコヨン」と呼んでいました。

 

 

ギグワークの記事を読んだとき、この光景とともに、「これは、日雇いどころか“時間雇い”じゃないか」と頭に浮かびました。

 

記事によると、インターネットを通じて単発で仕事を“請け負う”「ギグワーカー」と呼ばれる働き手が目立ってきたそうです。求人マッチングアプリを使ってその日限りの隙間の時間に働ける手軽さが受けているというのです。私は、迂闊にも、このような“就労斡旋の形態”があることを知りませんでしたが、私の頭の中で、この記事の求人マッチングサイトの運営者があの頃の「手配師」と重なるのです。

 

大人になってから知った話ですが、当時の日雇いは“労働者”としての地位で就労していましたし、また、日雇い労働者としての“失業対策制度”もあったそうです。しかし、今日のギグワーカーが“業務委託”で働かさせれていたら、“総てのリスクは自分持ち”ということになり、田町駅芝浦口の日雇いよりも大きなリスクを抱え込んでいるのではないかと心配になります。

 

 

○ ギグワークは“業務委託契約”?

日雇い派遣は原則として禁じられていますので、当然「労働者」として雇用されるのではなく個人として仕事を受託すること(業務委託契約=個人事業主)になるのではないかと思い、タイミーの利用規約(タイミーと働く者との間の契約)を見てみました。利用規約上では、受け入れ側(職場)と働く者との間の契約には、雇用契約と業務委託契約の両方の形態があるようですが、それぞれの契約の使い分けの仕方や契約の概要が分かる資料を見つけることは出来ませんでした。しかし、同社のサイトの全体的な流れから、業務委託が主流のような印象を受けました。また、上の記事も業務委託契約を前提に構成されています

 

上の記事では、飲食店で働いている事例が紹介されています。そして「他人の指揮命令によって働く法律上の労働者ではない」という説明がされていますが、実際の仕事の場面を考えてみれば、初めて働く飲食店で、店長などの指揮命令を受けずに自己の裁量で仕事をするなど、実態としてはあり得ないでしょう。ここでも、使用者が意識しているかいないかに拘わらず、実態としての“労基法逃れ”が行われていると思います。

 

ところで、ギグワーカーは、

○ 就業中に自分が怪我をしても治療費等は個人の負担となる。

○ 店の什器備品を壊したら店から賠償請求される。

○ 就業中に客に損害を与えたら、客へは店が賠償しても、店から求償される。

 

など業務委託契約に伴う一般的なリスクを承知の上で働いているのでしょうか(業務委託契約の中でこれらのリスクを委託側の事業者に負わせることは理屈の上では可能でしょうが、それでは委託側の事業者にとっての業務委託契約のメリットがなくなってしまいますので、実際にあるとは思えません。)。

 

 

「ギグワーク」などと“スマートそうに聞こえる言葉”と、「自分でやりたい仕事をやりたい時だけできる」とメリットを訴えかける言葉が攻勢を掛けてきますが、その本質は単なる労働の切り売りだと思います。問題は、そのような切り売りが、全くの働く者のリスク負担のもとに行われているのではないかということです。逆の立場から言えば、委託側の事業者はノーリスクで必要な時間だけ働かせることができることに他なりません。そして、上の記事によれば、手配師であるマッチングサイトは、働いた者への報酬の30%を手数料として、総額から逆算すれば23%を“ピンハネ(敢えてニコヨン時代の言葉で比喩しました。)”するのです。

 

 

繰り返しになりますが、1985年の労働者派遣法の施行以来、労働法制の切り崩しが行われてきています。「新しい働き方」と呼ばれるものの中には、働く者のメリットよりも企業側のメリットのほうが多いだろうと思われるものが少なくありません。そして、広義の意味で、今まで企業が負っていた雇用のコストやリスクが働く者やその家族に転嫁されようとしています。この流れを止めなければ、自分の世代ばかりでなく、子の世代、孫の世代に禍根を残すことになると思います。