他人事とは思えない野田市のアンケート用紙の提出強要事件 -「我が身の出来事」だったら- | 野良猫の目

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~本当は寝ていたい~

野田市で起きた小学校4年生の心愛さん虐待死事件は、一人の親としても胸が苦しくなるぐらいの怒りを感じます。新聞やテレビでは野田市の教育委員会、学校、児童相談所の対応が非難されたり、連携のあり方の見なしの必要性などが指摘されていますが、その非難・指摘が失当ということではなく、報道されない当事者なりの苦悩があったような気がしてなりません。

私がこのように感じるのは、かつての勤務先が消費者相談業務もやっており、強行かつ好戦的な態度で「法的見解を聞かせろ」というような要求は私の部門に回されて、これを処理してきたことからだと思います。

そこで、野田市教育委員会の担当者が栗原容疑者からアンケート用紙の提出を“強要”されたときの対応に絞り込んで、その問題点を整理してみました。この一点が崩れたことで、それ以降の対応がなし崩し的になってしまったように思えるからです。

 

 

1.個人情報かプライバシー情報か行政文書か

最近、個人情報」という言葉が、法律の本来の意味を超えて使われ、個人に関する情報であれば、何でも「個人情報」として一括りにしてしまう傾向があります。そのことで、情報隠しに利用されたり、他の局面では今回の虐待死事件のように、取り返しの付かない結果を生んでいることがあるように思えます。しかし、個人情報保護法あるいはそれに基づく条例等による制限だけをチェックして情報の取り扱い方を判断するのは危険です。

民間企業で言えば、個人保護法で定義する個人情報(注a)には当たらなくても、世間で言う「プライバシー」に当たる場合があります。この場合、「個人情報ですので……」と言って情報の提供を断ると、「それは違うだろう」と言われて立ち往生してしまうことがあります。また、迂闊にプライバシー情報を提供すれば、そのことで苦情を受けたり、更には損害賠償請求に発展しないとも限りません

行政機関の場合は、いわゆる情報公開法の規制もチェックすることが必要になるでしょう。行政の分野は経験が無いのですが、この事件を機会に野田市個人情報保護条例と野田市情報公開条例を読んでみたところ、アンケートの用紙は、野田市の行政文書にも該当するように思います。報道では、教育委員会がアンケートの写しを交付したことについて、個人情報の保護の視点からの批判が主にされていますが、私には、野田市の情報公開条例(第6条第2号)からみても不適切な取り扱いがされたように思えます(それを議論することが目的ではないので内容は省略します。)。

 

 

2.情報は「出したい(開示したい)けれど出せない」のか、「出したくないから出さないのか」

今回の事件では教育委員会が父親にアンケートの写しを交付することについて、「個人情報なので本人の同意がなければ交付できない」と言ったところ、「じゃぁ、同意書があれば出すのだな」と言って、その後、被害者が書いた同意書を容疑者が持参してきた、と報道されました。

 

民間企業であっても行政機関であっても、このようなケースで考えなければならないのは、「本心ではアンケートの写しを交付したいのだが、法律(条例)があるため交付できない。」のか、「本心では交付したくないのだが、断る口実として法律(条例)を出す。」のかということです。

本心では交付したくないのに「法律で……」という口実を付けると、形式的ではあっても、相手がその法律上の条件を満たした場合には断ることができなくなってしまいます。交付する義務がない場合は、法律がどうあろうと「私どもの意思として交付いたしません。」と、正面から自分の意思として交付しないことをはっきり言って断るべきです。

野田市のケースはどちらだかはっきりしないのですが、もし後者だとしたら、最もやってはいけない対応の一つだと思います。しかし、仮にそうだとしても、個人的には一概に教育委員会の担当者を非難する気持にはなれません。何故なら、行政機関の場合は、民間と違い、いわゆる情報公開法により原則的に公開の義務を負っており、例外的に禁止規定に係るものであれば拒否することとなっているからです。また、普通の人であれば、強烈なクレーマーに対しては何らかの「断るための口実」を探してしまうものです。これをさせないようにするにはそれなりの教育・訓練と体制作りが必要です(注b)

 

 

3.“同意”は誰がとるのか

本人の同意が必要な場合についての基本的な考え方を整理するため、一つの例として、民間の企業が個人データを第三者に提供する場合に本人の同意を取り付ける際の手続きの流れを下に書いてみました。

 

 

この場合、個人データを第三者に提供することについて、まず、事業者に「本人の個人データを第三者に提供したい」という意思がある筈です(①)。そして、実際に個人データの提供を行う事業者が本人に同意を求め(②)、その本人から同意する旨の意思表示を受領しなければなりません(③)(実務の場面ではいろいろなバリエーションがありますが、ここでは省略します。)。

 

 次に、野田市の事件をみてみます。

前述したように、最初の時点で教育委員会の意思としてアンケートの写しを交付しないことを明確に伝えればよかったのでしょうが、それは脇に置いておいて、同意の手続きに着目します。

報道などでは、“識者”が「同意書が本人の自由意思によるものか疑問である」等々いろいろコメントしています。全くその通りだと思いますが、私はむしろ、結果的にそのような疑問のある同意書を受け取らざるを得なくなったところに“対応のまずさ”を感じるのです。

 

報道をたどる範囲では、教育委員会は被害者に同意を請求していませんし、被害者からの直接に同意の意思表示も受け取っていません。このケースで言えば、「同意書をもってくればいいのだな」といわれた時点ではっきりと「同意を取り付ける手続きは、必要であれば私どもで直接行います。」と相手に告げることが必要だったのではないかと思います(注c)。

また、心愛さんが小学4年生であったこと、父親から暴力を受けていたことが窺われることなどこの事件の特殊性を考えれば、例え提出された「同意書」が形式的には整っていても、これを有効なものと取り扱ってよいものか疑問です。実際に同意書の提出を受けた時点で、逆にそれを理由にして教育委員会から本人の意思を直接確認するために面談することを申し入れるなどの対応ができたのではなかったかと悔やまれます。これは、民間企業の場合も同じだと思います(注d)。

 

 

4.「裁判をやる」と言われたら

この事件でも裁判をほのめかされたと報道されています。「裁判を起こしてもいいのか」とか「裁判を起こされたらそっちも困るんじゃないの」とお為ごかしに言うのは、悪質クレーマーの常套句の一つです。たじろぐ必要はありません。「裁判を……」が出てきたら、腹の中では「話し合いを終了させるチャンスを相手が作ってくれた」と考えてください。タイミングを見て「裁判をお考えのようですから、これ以上お話できません。」と言って話し合いを終了させます。

間違っても挑発に乗って「どうぞ裁判を起こしてください」などと言ってはいけません。後で「裁判を起こせと言われた。」とすり替えられるからです。「裁判を起こすかどうかは貴方が決めること。」というスタンスを維持することが必要です。

きっと相手は「裁判を……」と切り出すことで相手が折れてきたという成功体験をもっているか、そのような話しを誰かから聞いたことがあるのかも知れません。私の経験の範囲では、本当に裁判になったケースはありませんでした。

民事の裁判は、裁判を起こすまでに結構時間と手間がかかります。そう簡単に裁判など起こせるものではありません。訴訟の準備をしているうちに頭の中が整理されますから、勝ち目があるかどうか自分で判断できるようになるかも知れませんし、まじめな弁護士の先生であれば、無茶な訴訟を引き受けません。

 

 

上に書いた4点以外にも、“担当者の個人的な責任”を追求する、ネットで公開してもいいのかと迫る、同じ内容の質問を繰り返す、居座るなど、「こういうこともあったのではないか」といったポイントが次々と頭に浮かびますが、切りがないので省略します。

 

 繰り返しになりますが、第一線が崩れると、後々の対応があってはならない方向に進んでいってしまうことがあります。そうならないためにも、第一線で食い止めるための体制固めが必要です。

 ところが、今日の報道では、そろそろ野田市は関係者の責任を逃れるための体制固めに入ったような気がします。

 

せつないです……

 

 

[補注]

注a:個人情報保護法の「個人情報」とは、要約すれば、「個人を識別できる記述が含まれた生存する個人に関する情報」です(個人情報の保護に関する法律第2条第1項第1号)。

注b:私が働いていた事業者団体では、会員を対象に定期的に苦情処理に関するセミナーをやっていました。このセミナーでは講義(事例紹介を含む。)の他に、ロールプレイイング方式で顧客と担当社員のやり取りを再現し、弁護士の先生から講評をいただいていました。また、威圧的な態度の申し出者には複数の社員で面談する体制を作るよう助言していました。

注c:野田市個人情報保護条例では、個人情報の目的外利用及び第三者提供を禁止していますが、「本人の同意があるとき」は例外として公開するとしています(第9条第1項第2号)。この一行だけ見て「『本人の同意があるとき』としか書いていないのだから、同意書を誰が持ってきてもいいのだろう。」といわれたときに反論するには、それなりの法的知識が必要になります。

注d:書類として形式的には整っていても、それが本人の意思を表したものではないとの疑いを持った場合の処理事例を一つ紹介します。

私の勤務していた協会が会員会社に返還するお金について、“債権譲渡通知書”を受け取りました。これによって協会は債権の譲受人に返還金を支払わなければならなくなります。しかし、この書類を見てみると、形式的には整っていたのですが“人相”が悪いのです。「どうしたら、こんな人相の悪い書類が作れるのか」と考えている内に、“白紙に社判を押したものに、後から内容を書き込んだのではないか。”と思いつきました。そこで、譲渡人(会員会社の社長)に質問書を出したところ、その書類の作成経緯、内容については知らないし、債権譲渡する意思はない旨の回答を受け取りましたので、その回答書を法務局に持って行き、「債権者不確知」として返還分を供託しました。供託所の係官は、「これは供託を受けるか受けないか、ギリギリの線だなぁ」と迷いながらも受け取ってくれたそうです。