(前回からのつづき)
自民党改憲草案では、第97条が削除されています。その理由として、改憲草案Q&Aでは、「現行憲法第11条と内容的に重複していると考えたため」と説明しています。
ここで、自民党改憲草案で削除された97条と第11条を並べてみてみましょう。
【日本国憲法第11条】
第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
【日本国憲法第97条】
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
自民党は、第11条について、「人権は、神から人間に与えられるという西欧の天賦人権思想に基づいたと考えられる表現を改めたところです。」と説明しています(改憲草案Q&A 37ページ)。私には、不勉強にして、いくら読んでも日本国憲法第11条のどこが「天賦人権思想」に基づいて書かれたのか分かりません。そして、「天賦人権思想」がだめならば、国家が国民を統治する根拠を、自民党改憲草案の前文で暗示されているような神授的なのものであるとすることも否定されるべきであると考えます。
むしろ、第97条では、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって」と、神授説どころか、人類が自ら勝ち取ったものであるとの思想に基づいて書かれています。このことは、英語のテキストを読んでみると、よりその感を強くします。
Article 97. The fundamental human rights by this Constitution guaranteed to the people of Japan are fruits of the age-old struggle of man to be free; they have survived the many exacting tests for durability and are conferred upon this and future generations in trust, to be held for all time inviolate.
(英文からの翻訳)
この憲法が日本国民に保障する基本的人権(複数)は、人類が自由になるための長年にわたる闘争の成果であり、それらの権利は、永遠に存続するものとしての多くの過酷な試練に生き残ってきたものであり、永久に侵すことのできないものとして現在及び将来の世代に信託により授けられる。
(できるだけ、逐語的に訳してみました。)
さて、ここで、前回やった自民党改憲草案第11条の読替と比較してみましょう。
【自民党改憲草案第11条 読替】
国民は、全ての基本的人権を享有するが、緊急事態宣言下では停止されることがある。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利であるが、現在及び将来の国民に約束されたものではない。
こうして並べてみると、日本国憲法とは真逆の考え方で自民党改憲草案が書かれていることが分かります。自民党改憲草案のQ&Aでは、「11条後段と、97条の重複についは、97条のもととなった総司令部案10条が、GHQホイットニー民政局長の直々の起草によることから、政府案起草者がその削除に躊躇したのが原因であることが明らかになっている。」と説明しています(37ページ)。実際にそういう事実はあったのかも知れませんが、あったとしても、それが理由の全てとは、私には考えられないのです。単にこの事実に“かこつけて”第97条を消し去ろうとしているとしか思えません。
それは、「なぜ、第97条が、『第10章 最高法規』のところにあるのか」と考えたとき、「第97条が第3章全体の基本的理念をうたったものであるからではないか」、という仮説が浮かんだからです。そうすると、「第97条で言われている『基本的人権』とは、漠然とした概念ではなく、第3章に定められている個々の人権の総体を表すものであり、第3章に定められた権利の一つひとつが、『侵すことのできない永久の権利』である。」と解釈することができるのです。
このように考えると、基本的人権を制限しようとする自民党にとって、第97条がある限り第3章全体に手が付けられないことになります。まさに目の上のたんこぶ以外の何物でもありません。
日本国憲法の「永久に」という言葉が、「改正禁止条項」を意味する言葉であって欲しいというのが私の願望ですが、同じく、「現在及び将来の国民に与へられる」も、「改正禁止条項」を意味する言葉であって欲しいと思っています。