今日一日鬱で死にそうだった。

朝からずっと寝っぱなし。

そして何より暑い…

と思ったらなんだか肌寒い…

今日は病院に行った。

案の定泣いてしまった。

主治医が言うには、他人が自分を厳しい目で見ている思い込みがあるとの事

その思い込みが他人を恐怖の対象として見て、接するのに非常に緊張して相手にも緊張感を与えてしまうらしい。

こうした事象が人間関係の構築に大きな障害を起こし、仕事にも影響しているという。

こうした事象のバックグラウンドには母親との親子関係と家庭環境、そして育った環境にあるとの事。

僕の家は壮絶だった。

まぁ僕より酷い中で育った人もいるかもしれないけど…

叔父と祖母と母の3人暮らしで叔父はアルコール中毒で嵐の様な暴力を振るう男だった。

祖母は介護が必要なほど体が不自由でいつも母は祖母の介護、叔父の暴力、そして障害を持つ僕のお世話と忙しかった。

さぞ辛かっただろう。

精神状態が常に不安定で毎日泣いていた。

だから僕は高校生の頃母を支え、祖母を介護し、叔父の暴力から救おうと心に誓った。

そうやって過ごすうちに、母親と祖母が居心地の良くなる様に身を徹した。

母が精神不安定で泣いている時は全力で慰めて、
祖母がお風呂や食事が取れやすい様に工夫した。
叔父の暴力も僕に一点集中するように、全て受け止めた。

そんな僕には当然、青春なんてものは存在しなかった。

吃りのせいで高校時代はまったく喋らなくなっていた。
だから、友達もいなかったし当然恋なんて縁遠かった…(好きな人はいたけど…)
友達と勉強をするためにファミレスやカフェに行ったり、夏休みに出かけることもなかった。
学園祭でもゴミ拾い当番だった。
あだ名はゴミ当番w

僕は高校時代、卒業アルバムの自分の写真以外どこにも写っていない。
当然アルバムの裏表紙は白紙だ。
修学旅行もお金がなくて行けなかった。

ただ皆んなに迷惑をかけない様に、皆んなが楽しそうにしているのを見て過ごした。 

ただ家族のために、母を暴力と介護から救うために費やした。

叔父は働いていなかったし、母の稼ぎだけではとても祖母を面倒見切れなかった。

だからバイトをした。

工場でひたすらエアコンを組み立てた。

周りに迷惑をかけない様、ただひたすら寡黙に生きた。

顔色を伺い、自分の意見は言わなかった。

学校では無視されて、職場では使えないと怒鳴られ、帰れば叔父の壮絶な暴力。

そして母の悲しみを受け止める。

僕が躓けば母を悲しませる。

生きる事に向いていない、母はそう僕に言った。

それはつまり僕の存在自体が迷惑。

2度の失業

自殺未遂…

こうした自分の行動が物語っている。

そうしたバックグラウンドが相当な影響を及ぼしているらしい。

だから、一度そうしたことを整理して考えるべきだと主治医は言う。

自分が思ってるほど、周りの人は厳しい目で僕の事を見ていないかもしれないよと。

周りに気を遣い過ぎて満身創痍なんだよと。

自分一人で頑張らなくていいと。

十分戦って来たと、

力を抜いて大丈夫なのだと。

大丈夫なものか…

28歳で月収18万なんて将来もクソもない…

でも…

なんだかよく分からないが、少しその事について考えようと思う。

もう少し頑張ろうと思う。