病、ひらくことも、運ひらくことも、皆己からじゃと申してあろう。
誰でも何でも良くなるのが神の道、神の御心じゃ。
親心じゃ。
悪くなると云うこと無いのじゃ。
迷いが迷い生むぞ。
もともと病も不運もない弥栄のみ、喜びのみじゃ。
神が喜びじゃから、その生んだものみな喜びであるぞ。
この道理よくわきまえよ。
毎日毎日、太陽と共に太陽について起き上がれよ。
その日の仕事与えられるぞ。
仕事いのちと仕えまつれよ。
朝寝するからチグハグとなるのじゃ。
不運となるのじゃ。
仕事なくなるのじゃ。
神について行く事が祈りであるぞ。
喜びであるぞ。
食物、食べ過ぎるから病になるのじゃ。
不運となるのじゃ。
口から出るもの、入るものに気つけよ。
戦(いくさ)起こるのじゃ。
人間の病や戦ばかりでない、国は国の、世界は世界の、山も川も海もみな病となり、不運となって来るぞ。
食べないで死ぬことないぞ。
食べるから死ぬのじゃぞ。
一椀をとって先ず神に供えよ。
親に捧げよ。
子に捧げよ。
腹八分の二分は捧げよ。
食物こそは神から、親から与えられたものであるぞ。
神に捧げずに貪(むさぼ)るからメグリ積むのじゃ。
メグリが不運となり、病となるのじゃぞ。
運ひらくのも食物慎(つつし)めばよい。
言慎めば良い。
腹十分食べてはこぼれる。
運は詰まってひらけん。
この分かり切った事、何故に分からんのじゃ。
捧げるからこそ頂けるのじゃ。
頂けたら捧げると今の人民申しているが、それがウラハラと申すもの。
衣類も家も土地も、みな神から頂いたので無いぞ。
預(あず)けられているのであるぞ。
人民に与えられているものは食物だけじゃ。
日の恵み、月の恵み、地の恵みだけじゃぞ。その食物節してこそ、捧げてこそ、運ひらけるのじゃ。
病治るのじゃ。
人民日干しにはならん。
心配無用。
食物、今の半分で足りると申してあろうが。
遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。
運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ。
そんなこと位で、病治ったり運ひらける位なら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理屈と申すもの。
理屈悪と申してあるもの。低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。
理屈捨てよ。
捨ててやって見なされ。
みなみな気づかん理(みち)、気づかん病になっているぞ。
ツキモノがたらふく食べていることに気づかんのか。
食物節すればツキモノ改心するぞ。
先ず百日をめあてに、百日過ぎたら一年を、三年続けたら開運間違いなし。
病も無くなってうれしうれしとなるぞ。
三年目、五年目、七年目。
めでたいナァ、めでたいナァ。
日月神示より