来週、
生まれて初めてチャリティに参加する私。
実は来週火曜日に、
私の働くお店では、
その日にレジに入ったお金全部、ハイチ大地震のために寄付をする。
これって、
お客さんがくればくるほど、
お店は儲け的には損をするわけだけど、
その分ハイチに送れるお金も増える。
2つのお店のうちの1つがそれをする予定なのだけど、
オーナーイアンがポスター作ったり、同じ通りのお店にフライヤーを配ったり、
必殺仕事人のニックがお店にその告知をチョークアートしてみたりして、
動いてる。
おかげで火曜日は朝から忙しくなりそうなので、
私はいつものお店で、時間外ワーク。
つまり、
FREEで働いて、チャリティを支援。
私は日本でそういう支援をしたことがない上に、募金もほとんどしたことがない。
25年間生きてきて、
多分5回くらいしか募金したことないんじゃないか。。
ここで暮らしていると、
募金をしたり、ホームレスにお金をめぐんだりすることがごく日常的に行われてることに、
ふと気づく。
イアンも、若い頃から毎月なにかの機関に募金として送金をしているそうで、
ロンドンに住んでいた頃は、
ビッグイシューを持つホームレスによくお金をあげていたよう。
「ブライトンに来てからは?」ってきくと、
「ブライトンのホームレスは、ホームレスじゃない奴がいるからあげてないんだ。
むしろどこに住んでるか知ってる奴がビッグイシュー持って立ってるんだよ。
ヘロイン中毒みたいになって酔っぱらって。」
…
おい…。ブライトンの偽ホームレス。。。
ちなみにウィリアムも、
一緒に歩いてたときに、自分の全財産が80円だったにも関わらず、
全財産、全部あげていた。
「ウィリー、あんた貧乏なのに。」
っていうと、
「彼は僕よりもお金が必要だからね。」ってさらりと言っていた。
明日からあんたどーすんの、って思ったけど、
何も言えなかった。
ステラも、
バス代金分しかお財布に入ってない時に、
道で活動するボランティアに、
バス代全部あげて、歩いて帰っていった。
今回のハイチ大地震において、
海外セレブレティが大金を寄付しているニュースは流れるけれど、
日本のセレブはどうだったっけ??って疑問になる。
これって一体、
文化の違い?それとも単に人の違いだろうか?
結局、どれがよいんだろうか?
(ただし、海外セレブは
そのパフォーマンスから得られるものを暗に求めているかもしれないし、
そうなると海外におけるビジネス、という面からみることになって、
話はちょっと複雑だ。
まあとにかく、
結果的にはお金が現地に集まって助けになるので
彼らが何かを求めていたとしても、別になんら悪いことはないし、
素晴らしい。
一番の目的がきちんと達成されれば、それでよい。)
私の大好きな、ひろさちや氏は本のなかで募金について、
「私は一銭も募金をしない。なぜなら、そういったお金が必要な場所にもきちんとお金がわたるために、
私たちは税金を払っていて、それをつかって本来は政府が助けるべきであるからだ。」という趣旨のことを書いていた。
本当にその通りだ、とも思う。
ただ、現状はきちんとその税金が公正に使われていないから、
やっぱり募金は必要になるのだ。
ここで暮らしていると、
根本的に、「人助け」についての考え方が、
日本とでは違うのかもしれない。とよく思う。
そして人助けに関わらず、日本での暮らしは何かがんじがらめになっているような気もする。
色々な、また、それぞれの人の価値観にがんじがらめに。
もう少し、シンプルでいいんじゃないか。
お金、とか、見返り、とか、名声、とか、プライド、とか、
そういうのを考えると、とても面倒な上に、
体力を消耗する。
そして、何も残らない。
そして、いつの間にか歳をとっている。一体人生はなんだったのか。
それはとても恐ろしい。
少なくとも私にとってはものすごく恐ろしい。
そういう意味で、行動を起こすという点において、
ここでは日本よりも、少しシンプルで、
もう少し動物的なのかもしれない。
結論として、
募金をするもしないも、どう行動するかも、
その人それぞれが「自分の心」に従って行動すれば、
それが一番なんだろうな、と思う。
「こうしたら他人からこう思われるから、こうしよう」ではなく、
「自分がこうしたいからこうする」という意思から生まれた行動は、
多分それに勝るものはない。
ちょっと脱線すると、私は恋愛においてもそのスタンスなので、
「やりたいならやって。やりたくないけど、やったほうがよさそうだ、と思うならやらないで。」
ということはよくある。
例えば「電話するのは面倒だけれど、したほうがよさそうだからしとくか」なら、
いっそしないでほしい。
そうすると、電話をくれたときに「ああこの人は私と話したくて電話をくれたのだな」と純粋に喜べるから。
話を戻すと、
だから、ひろさちや氏のように「私は募金をしない」という姿勢もありだし、
何かに心を打たれて「少しだけれど、助けになれば」というのもありなのだ。
そこに「自分」があれば、
それが一番なんだと思う。
火曜日は、朝9時から夜6時半までひたすら一人でお店を守って立ち仕事だけれど、
でも、それが助けになるなら嬉しいことだ。

生まれて初めてチャリティに参加する私。
実は来週火曜日に、
私の働くお店では、
その日にレジに入ったお金全部、ハイチ大地震のために寄付をする。
これって、
お客さんがくればくるほど、
お店は儲け的には損をするわけだけど、
その分ハイチに送れるお金も増える。
2つのお店のうちの1つがそれをする予定なのだけど、
オーナーイアンがポスター作ったり、同じ通りのお店にフライヤーを配ったり、
必殺仕事人のニックがお店にその告知をチョークアートしてみたりして、
動いてる。
おかげで火曜日は朝から忙しくなりそうなので、
私はいつものお店で、時間外ワーク。
つまり、
FREEで働いて、チャリティを支援。
私は日本でそういう支援をしたことがない上に、募金もほとんどしたことがない。
25年間生きてきて、
多分5回くらいしか募金したことないんじゃないか。。
ここで暮らしていると、
募金をしたり、ホームレスにお金をめぐんだりすることがごく日常的に行われてることに、
ふと気づく。
イアンも、若い頃から毎月なにかの機関に募金として送金をしているそうで、
ロンドンに住んでいた頃は、
ビッグイシューを持つホームレスによくお金をあげていたよう。
「ブライトンに来てからは?」ってきくと、
「ブライトンのホームレスは、ホームレスじゃない奴がいるからあげてないんだ。
むしろどこに住んでるか知ってる奴がビッグイシュー持って立ってるんだよ。
ヘロイン中毒みたいになって酔っぱらって。」
…
おい…。ブライトンの偽ホームレス。。。
ちなみにウィリアムも、
一緒に歩いてたときに、自分の全財産が80円だったにも関わらず、
全財産、全部あげていた。
「ウィリー、あんた貧乏なのに。」
っていうと、
「彼は僕よりもお金が必要だからね。」ってさらりと言っていた。
明日からあんたどーすんの、って思ったけど、
何も言えなかった。
ステラも、
バス代金分しかお財布に入ってない時に、
道で活動するボランティアに、
バス代全部あげて、歩いて帰っていった。
今回のハイチ大地震において、
海外セレブレティが大金を寄付しているニュースは流れるけれど、
日本のセレブはどうだったっけ??って疑問になる。
これって一体、
文化の違い?それとも単に人の違いだろうか?
結局、どれがよいんだろうか?
(ただし、海外セレブは
そのパフォーマンスから得られるものを暗に求めているかもしれないし、
そうなると海外におけるビジネス、という面からみることになって、
話はちょっと複雑だ。
まあとにかく、
結果的にはお金が現地に集まって助けになるので
彼らが何かを求めていたとしても、別になんら悪いことはないし、
素晴らしい。
一番の目的がきちんと達成されれば、それでよい。)
私の大好きな、ひろさちや氏は本のなかで募金について、
「私は一銭も募金をしない。なぜなら、そういったお金が必要な場所にもきちんとお金がわたるために、
私たちは税金を払っていて、それをつかって本来は政府が助けるべきであるからだ。」という趣旨のことを書いていた。
本当にその通りだ、とも思う。
ただ、現状はきちんとその税金が公正に使われていないから、
やっぱり募金は必要になるのだ。
ここで暮らしていると、
根本的に、「人助け」についての考え方が、
日本とでは違うのかもしれない。とよく思う。
そして人助けに関わらず、日本での暮らしは何かがんじがらめになっているような気もする。
色々な、また、それぞれの人の価値観にがんじがらめに。
もう少し、シンプルでいいんじゃないか。
お金、とか、見返り、とか、名声、とか、プライド、とか、
そういうのを考えると、とても面倒な上に、
体力を消耗する。
そして、何も残らない。
そして、いつの間にか歳をとっている。一体人生はなんだったのか。
それはとても恐ろしい。
少なくとも私にとってはものすごく恐ろしい。
そういう意味で、行動を起こすという点において、
ここでは日本よりも、少しシンプルで、
もう少し動物的なのかもしれない。
結論として、
募金をするもしないも、どう行動するかも、
その人それぞれが「自分の心」に従って行動すれば、
それが一番なんだろうな、と思う。
「こうしたら他人からこう思われるから、こうしよう」ではなく、
「自分がこうしたいからこうする」という意思から生まれた行動は、
多分それに勝るものはない。
ちょっと脱線すると、私は恋愛においてもそのスタンスなので、
「やりたいならやって。やりたくないけど、やったほうがよさそうだ、と思うならやらないで。」
ということはよくある。
例えば「電話するのは面倒だけれど、したほうがよさそうだからしとくか」なら、
いっそしないでほしい。
そうすると、電話をくれたときに「ああこの人は私と話したくて電話をくれたのだな」と純粋に喜べるから。
話を戻すと、
だから、ひろさちや氏のように「私は募金をしない」という姿勢もありだし、
何かに心を打たれて「少しだけれど、助けになれば」というのもありなのだ。
そこに「自分」があれば、
それが一番なんだと思う。
火曜日は、朝9時から夜6時半までひたすら一人でお店を守って立ち仕事だけれど、
でも、それが助けになるなら嬉しいことだ。