舞台に風を,音に命を

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以前のブログにログインできなくなったので,新装開店しました(^^).

音遊房「繁風亭」&劇団√根のブログです.

遠く目指しているのは,現代のなかに伝統芸能/民族芸能を融合させて新しい日本文化を生み出していくことです.

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◆おいらの好きなコトバ◆その1
「照千里守一隅」

ふと思い立って,好きなコトバ,座右の銘にしているコトバについて語ってみます.
といっても,座右の銘なんてあんまり多くないですよね,普通(^_^;).

ですのでシリーズといっても短編になると思いますが.よろしくおねがいします.


よく「一隅を照らす」と言い習わされている言葉です.
実は,おいらが結婚した時に,父が贈ってくれた言葉です.
今のところ,ちっとも一隅を照らせていませんが(^_^;).

「一隅を照らす」という言葉は,こんなふうに使われますよね.

「一人の人間が照らす事ができるのは限られていて,わずかな場所しか照らすことができないけれども,それをしっかり照らし続けることで,誰かの光になりうる.ひいては世のため人のために尽くすことができる.そして大切な人を大切にすることができるんだよ」

解釈はいろいろでしょうがだいたいこんな感じでしょう(大雑把).

このコトバ,どこからきたんでしょうか?ちょっと調べるとすぐに出てきます.この言葉の元は,


照于一隅此則国宝(一隅を照らす,これ則ち国宝なり)

という文言です.これは伝教大師最澄さんが818年に書いた「山家学生式」(天台宗門後継者の修行規定)という文書の冒頭部分です.

最澄直筆の文書(御真筆)も残っているようです.
ここです. (「天台宗 一隅を照らす運動」WebPageより)

ところが調べてみると,いろいろと論争があるようです.
ざっっっくりまとめると,
・最澄が引用したのは荊渓湛然著「摩訶止観輔行伝弘決」(天台宗の重要な論書「摩訶止観」の注釈書).
・この書は司馬遷の『史記』巻四十六の「田敬仲完世家」が出典.
・元になるべき文言は「照千里守一隅」(于ではなく千.これが論争の的)
・ここにあるエピソードはこんな感じです.

◎時は紀元前300年代の中国.いわゆる戦国時代です.
◎登場するのは魏の国の王と斉の国王,威王です.
◎二人が会見した際の対話がこんな感じ.

魏王「お前,宝もん持ってるけ?」
威王「宝もん?うんにゃ,そんなもん持っとらんわ」
魏王「フハハハハ,わしのとこにはなぁ,でっかくてピッカピカの玉が十個もあるんじゃ.ほんで,これをクルマにつけたら,バビーンと前後を照らすんじゃ.すごいやろ~」
威王「ああさよか.うちにはそんな宝もんはないけどな,メッチャ優秀な家臣がおってな,それぞれが国の四隅をきっっっちり守ってくれとる.そやし,周りの国も攻めてこれん.国内の治安もばっちりや.これこそが千里を照らす宝物や.」

このエピソードは,平たく言うと,
「理論をよく知り,実践をしっかりやれることこそが,人間力の一番の宝物だ」
という説話の一例として出されているわけです.

元々は歴史書で,テーマは政治,国づくりなんですが,「摩訶止観」も「山家学生式」も宗教の道を説く書物ですからね,この謂れを転用して,仏の道もまた同じ,という意図なのでしょうね.

……ちょっとわかりにくい例えやけど(^^).

で「照千里守一隅」です.

千里を照らすこと即ち一隅を守ること.

これは結局,日本ですこし違って言い習わされていた「一隅を照らす」と同じ意味じゃないかと思うんです.つまり,

・一人ひとりがしっかりと自分の役割を果たすことで,世を明るく,正しく導くことができる.

・世の中が明るければ,一人ひとりが何をするべきなのかがよくわかり,迷うことがなくなる.

国の守りについてのエピソードが転じて,人間ひとりひとりと世の中との関わりや,自己実現とはなにか,ということを言い表しているのだと思うのです.

父から貰ったこの言葉,ずっと胸に刻み,他の人にも伝えて行きたいと思う次第です,はい(^^).

すいません,まだちゃんとできてませんけど(^_^;).

ま,楽しいことをたくさんたくさん,ばら撒くことが,おいらの「一隅」かなぁ(^^)

※参考Page: 心学明誠舎のページ内「一隅を照らす人、千里を照らす人」(井上宏)
http://www.ehle.ac.jp/meiseisha/kikou/121227itiguu-wo-terasu-nituite/121227itiguu-wo-terasu-nituite.htm