昨日ご紹介した、小学校5、6年生の担任 金子徹先生です。
卒業前に撮った写真ですね。当時の通知表の裏表紙に貼ってあります。
私がこの頃の授業を超えるものはないとお話しさせていただきましたが、
その理由を少しお話ししたいと思います。
当時、先生が目指していたのは「先生が一切しゃべらない授業」でした。
これは、どういうものかというと、先生が授業の冒頭に学習課題だけを提示し、
後は児童の発言によって授業を進行していくというものです。
ややもすると、発言がある一点に集中し、授業が進行しなくなるおそれもあります。
しかし、私は、その課題を解決することを目標として発言をしますので、
これが見事にはまり、課題の解決まで導いてしましました。
およそ、小学生とは思えない高レベルな授業を作っていたと思います。
その発言率は、常に90%を超え、時には全員発言も珍しくありません。
先生は、しゃべらないと言いましたが、
かといって放任するのではなく、あくまでも「導く」ことに徹します。
先ほど述べた”おそれ”もありますし、つい授業をコントロールしようとしてしまいます。
児童が何を予習してきたのは、事前にノートを提出させているので、先生は分かってますからね。
でも、そんなことはしません。授業を作るのは児童。先生ではありません。
ひょっとしたら、それも見越して授業をしてたのかもしれませんね。
私が教育実習で、これを真似しようとして失敗したのはこの点です。
教育実習の最後の関門、研究授業。事前に3時間ほどコマをいただいて、
生徒(私が赴いたのは中学校)に調べ学習をさせ、それを研究授業で発表させようとしました。
ただ、中学生ともなると、ほとんど発言をしなくなるので、
もうこちらのコントロールしてやろうと思ったのです。
でなければ、結論はでませんし、授業も終われません。
これだと、確かに先生の思ったように授業は展開できますが、新しい考え方などは生まれなくなります。
ここで、この生徒、次はあの生徒に発言させようなどと思ってしまい、不意な発言を避けるようになりますから。
この研究授業をみていた教頭先生にも、その点を指摘されました(もちろん、それ以外にも)。
まあ、あまりの申し訳のなさ(特に生徒)、
なんて自分勝手にやってしまったのだろうと涙した覚えがあります。
(そのほかにも教育実習ではいろいろやらかしましたが)
当時の担任からの所見です。
いずれの学期も「発言」への言及がみられます。
私はね、「授業で発言するのは良いこと」だと信じていました。
だから、積極的な発言に心がけていたのですがね、
卒業して中学校へ行ったら、まあ発言のしないことしないこと。
逆に余計なことをしゃべるな(?)とか、目立ってはいけない的な雰囲気が授業を支配していてね、
手を上げないんですよ。特定の怖い先生の時は、みんな手を上げてますが(;^ω^)
こっから、なぜか「発言することは悪いこと」に変容してしまったみたいで、
それが、実は今でも根付いてしまっている・・・。
結局ね、発言することで、自分がどう思われているのか気にするようになってしまい、
自分が傷つくおそれがあるのであれば、発言はしないでおこうと考えるに至ってしまったんですね。
小学生の頃は、賞賛されるのがあたりまえでしたが、大人になるに従って、非難されることが多くなりましたから。
そういう理由もあって、
この頃の授業を超える授業というものを私は経験したことがないんですよ。
それだけ、金子徹先生は偉大だったと思います。
あれから20年ほど経って、
つつじヶ丘とどこかの小学校の校長をやられているときにお目にかかりました。
ぽぷかる歩行者天国のポスターを学校に貼って欲しいというお願いでね。
当時の面影こそされ、かなりふくよかになってましたけど(笑)
もう定年だそうで。
そういえば、当時の授業はビデオ撮影していたような。
そのテープはまだあるだろうか。