[前回記事→心に余裕があることとは]
キャンディにいる間に、シギリヤに行くことにした。

シギリヤには、"シギリヤ・ロック"という巨大な岩がある。これはただの岩ではない。岩の上に王宮があるのだ。5世紀にカッサパ1世は巨大な岩山の上に王宮とそれを取り囲む水路、庭園などを作った。現在は遺跡として残され、1982年にユネスコの世界文化遺産に登録された。
キャンディからは、ダンブッラで乗り換えてバスで2時間ほどで着くという話しだった。ダンブッラまでの料金は130スリランカルピー。2時間ほどなら早く着くなと思っていたが、バスは一向に進まない。なぜか途中で何回も何回も止まるのだ。結局朝7時30分にキャンディを出たバスは11時頃ようやくダンブッラに到着した。ダンブッラからシギリヤまではバスで40分ほど。40スリランカルピーであった。
炎天下のシギリヤに到着した。バス停からシギリヤ・ロックまでは歩いて15分ほど。それほど長い距離ではないにもかかわらず、暑さで頭がぼうっとなる。
チケット売り場の近くでは、日本語が堪能なガイドが話しかけてくる。
「チケット売り場はあっちだよ。日本語ガイドも是非検討してみてね。」
あまりにも日本語が上手なので、日本人かと思ってしまった。丁重にお断りするとそれ以上付いてくることはなかった。シギリヤ・ロックの入場料は、3900スリランカルピー(約3500円)と物価の割にはかなり高額である。インドやネパールと同じように、外国人料金が設定されていた。
入り口に向かって歩いていると、偶然にも飛行機で隣の席だった中国人親子に出会った。あまりの偶然に驚いて、しばらくお母さんと立ち話をした。7歳の子供さんは飛行機の中で熱を出していたがもう大丈夫そうだ。また会うかもしれませんね、と言って別れた。世界は広いようで狭いんだ。

シギリヤ・ロックは、目の前にそびえ立っていた。巨大な岩はどこからでも見えた。
あの山のような岩を登るのだ。今では階段がついており子どももお年寄りも登ることができる。しかし、1600年以上も前、どのようにしてこの上に王宮を作ったのだろう。
岩山の中腹には、"シギリヤレディ"と呼ばれるフレスコの壁画が描かれている。

何世紀もたっているとは思いがたいくらい色鮮やかに修復されており美しかった。このシギリヤレディは、カッサパ王が父を弔うために描かせたという。かつての人もここでこの絵を見ながら一服したのだろうか。
岩山の上には王宮跡があり、観光客でごった返していた。

かつて、ここは王が意のままに支配し、豪遊し、生活し、祈ったのだろう。
大きな岩の上からは、広大な森を望んだ。緑豊かな国であることを再認識させる絵のような光景だった。

緑色の世界を眺めていると清々しい気持ちになった。
満足してシギリヤロックから降りてくると、男性が話しかけてきた。話をしていると、「あ、僕のお客さんが戻ってきた。」と言うのだった。ガイドさんだったようだ。
「これから博物館に行くけど、一緒に行く?」と誘ってくれた。お客さんであるスイス・マダムたちも、是非一緒にどうぞと快く言ってくれたので、お言葉に甘えて同行することにした。
ガイドさんの名前は、ナナ。
コブラに見える岩などを説明しながら歩いて行き、博物館へはナナの運転するバンで向かった。途中でココナッツを売っているお店に立ち寄り、ナナがナタでココナッツを割って中のジュースを飲んだ。正直に言うとココナッツジュースは若干苦手だ。でも、これはきっと暑い中でのミネラル補給になることだろう。ジュースを飲み終わったあとは、内側の白い果肉の部分も食べるのだ。たくさんは食べられないが、まあまあ好きだ。ナナはパイナップルも切ってくれた。パイナップルはみずみずしくて本当に美味しかった。汗をかいた全身が潤っていくようだった。
お腹が満たされたあと再びバンに乗って博物館に向かった。2009年7月に開館したこの博物館は、日本の技術と財政援助を受けて建てられたそうだ。中には、30年にもおよぶ考古学研究の成果とも言える品々が展示され、シギリヤ・ロックの王宮がどのようであったかのビデオも上映されていた。博物館を出てくるとさきほど出会った中国人親子にまた出会って、またその偶然を笑いあった。
ナナはバス停まで送ってくれて、スリランカで何かあったら連絡するようにと言って名刺をくれた。お世話になったお礼にとチップを渡そうとすると、いらないよと言われ、「スリランカを楽しんでね!」と笑顔で手を降ってバンに戻っていった。スイスマダムたちも優しく、「一人旅は危ないから気をつけるのよ」と何度も言ってくれた。
なんと優しい人たちなのだろうか。スリランカに来て以来、人々の優しさに触れてばかりだ。
さて、帰りのバスは大変だった。シギリヤからダンブッラまで行き、ダンブッラでキャンディ行きに乗り換えた。すると、乗っていたバスが途中でパンクして、運転手は路肩にバスを止めてタイヤの交換を始めた。しかし一向に終わらない。次のバスを手配するということもなさそうだ。しばらく待っていたが、拉致があかないと思ったのか、車掌はちょうどやってきた別のバスに乗るように乗客に指示した。しかし、すでにたくさん乗っていたバスに別のバスの乗客が乗ってきたため、人数は倍。すし詰め状態である。さらには基本的に急発進、急ブレーキであるため、まるでフライパンの上のポップコーンになった気分だった。乗り心地の悪さは半端ない。ダンブッラを出たのは15時30分頃だったが、キャンディに着いたのは18時頃だった。
疲れたが、良い一日だった。
大きな大きな岩の上には古代の人々の息遣いがあった。
大きな大きな岩を目の前に今日もまた人の温もりを感じた。
キャンディにいる間に、シギリヤに行くことにした。

シギリヤには、"シギリヤ・ロック"という巨大な岩がある。これはただの岩ではない。岩の上に王宮があるのだ。5世紀にカッサパ1世は巨大な岩山の上に王宮とそれを取り囲む水路、庭園などを作った。現在は遺跡として残され、1982年にユネスコの世界文化遺産に登録された。
キャンディからは、ダンブッラで乗り換えてバスで2時間ほどで着くという話しだった。ダンブッラまでの料金は130スリランカルピー。2時間ほどなら早く着くなと思っていたが、バスは一向に進まない。なぜか途中で何回も何回も止まるのだ。結局朝7時30分にキャンディを出たバスは11時頃ようやくダンブッラに到着した。ダンブッラからシギリヤまではバスで40分ほど。40スリランカルピーであった。
炎天下のシギリヤに到着した。バス停からシギリヤ・ロックまでは歩いて15分ほど。それほど長い距離ではないにもかかわらず、暑さで頭がぼうっとなる。
チケット売り場の近くでは、日本語が堪能なガイドが話しかけてくる。
「チケット売り場はあっちだよ。日本語ガイドも是非検討してみてね。」
あまりにも日本語が上手なので、日本人かと思ってしまった。丁重にお断りするとそれ以上付いてくることはなかった。シギリヤ・ロックの入場料は、3900スリランカルピー(約3500円)と物価の割にはかなり高額である。インドやネパールと同じように、外国人料金が設定されていた。
入り口に向かって歩いていると、偶然にも飛行機で隣の席だった中国人親子に出会った。あまりの偶然に驚いて、しばらくお母さんと立ち話をした。7歳の子供さんは飛行機の中で熱を出していたがもう大丈夫そうだ。また会うかもしれませんね、と言って別れた。世界は広いようで狭いんだ。

シギリヤ・ロックは、目の前にそびえ立っていた。巨大な岩はどこからでも見えた。
あの山のような岩を登るのだ。今では階段がついており子どももお年寄りも登ることができる。しかし、1600年以上も前、どのようにしてこの上に王宮を作ったのだろう。
岩山の中腹には、"シギリヤレディ"と呼ばれるフレスコの壁画が描かれている。

何世紀もたっているとは思いがたいくらい色鮮やかに修復されており美しかった。このシギリヤレディは、カッサパ王が父を弔うために描かせたという。かつての人もここでこの絵を見ながら一服したのだろうか。
岩山の上には王宮跡があり、観光客でごった返していた。

かつて、ここは王が意のままに支配し、豪遊し、生活し、祈ったのだろう。
大きな岩の上からは、広大な森を望んだ。緑豊かな国であることを再認識させる絵のような光景だった。

緑色の世界を眺めていると清々しい気持ちになった。
満足してシギリヤロックから降りてくると、男性が話しかけてきた。話をしていると、「あ、僕のお客さんが戻ってきた。」と言うのだった。ガイドさんだったようだ。
「これから博物館に行くけど、一緒に行く?」と誘ってくれた。お客さんであるスイス・マダムたちも、是非一緒にどうぞと快く言ってくれたので、お言葉に甘えて同行することにした。
ガイドさんの名前は、ナナ。
コブラに見える岩などを説明しながら歩いて行き、博物館へはナナの運転するバンで向かった。途中でココナッツを売っているお店に立ち寄り、ナナがナタでココナッツを割って中のジュースを飲んだ。正直に言うとココナッツジュースは若干苦手だ。でも、これはきっと暑い中でのミネラル補給になることだろう。ジュースを飲み終わったあとは、内側の白い果肉の部分も食べるのだ。たくさんは食べられないが、まあまあ好きだ。ナナはパイナップルも切ってくれた。パイナップルはみずみずしくて本当に美味しかった。汗をかいた全身が潤っていくようだった。
お腹が満たされたあと再びバンに乗って博物館に向かった。2009年7月に開館したこの博物館は、日本の技術と財政援助を受けて建てられたそうだ。中には、30年にもおよぶ考古学研究の成果とも言える品々が展示され、シギリヤ・ロックの王宮がどのようであったかのビデオも上映されていた。博物館を出てくるとさきほど出会った中国人親子にまた出会って、またその偶然を笑いあった。
ナナはバス停まで送ってくれて、スリランカで何かあったら連絡するようにと言って名刺をくれた。お世話になったお礼にとチップを渡そうとすると、いらないよと言われ、「スリランカを楽しんでね!」と笑顔で手を降ってバンに戻っていった。スイスマダムたちも優しく、「一人旅は危ないから気をつけるのよ」と何度も言ってくれた。
なんと優しい人たちなのだろうか。スリランカに来て以来、人々の優しさに触れてばかりだ。
さて、帰りのバスは大変だった。シギリヤからダンブッラまで行き、ダンブッラでキャンディ行きに乗り換えた。すると、乗っていたバスが途中でパンクして、運転手は路肩にバスを止めてタイヤの交換を始めた。しかし一向に終わらない。次のバスを手配するということもなさそうだ。しばらく待っていたが、拉致があかないと思ったのか、車掌はちょうどやってきた別のバスに乗るように乗客に指示した。しかし、すでにたくさん乗っていたバスに別のバスの乗客が乗ってきたため、人数は倍。すし詰め状態である。さらには基本的に急発進、急ブレーキであるため、まるでフライパンの上のポップコーンになった気分だった。乗り心地の悪さは半端ない。ダンブッラを出たのは15時30分頃だったが、キャンディに着いたのは18時頃だった。
疲れたが、良い一日だった。
大きな大きな岩の上には古代の人々の息遣いがあった。
大きな大きな岩を目の前に今日もまた人の温もりを感じた。