仏教思想研究家の植木雅俊は、思想として経典を論じる。
聖典として経典を読もうとすれば、無条件に信じるしかないという箇所がおそらく出てくるであろう。
そして、「ありがたい教え」と捉えることが一種の「正解」になってくる。

宗学や教学、聖典ではなく思想として読む場合にはーーたとえば岩波文庫の青版を読むのと同じようにーー読み手が疑問を大切に、自分の頭で考えて、時代的制約などを知って必要に応じて内容の取捨選択を行える。
そうした意味で、植木の著作は興味深い。
レポートみたいな文体になってしまった…乱筆。

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『法華経』は、我々の生命が瞬間に永遠をはらみ、宇宙大の広がりを持つものであることを、三世十方の諸仏・菩薩をはじめとする十界のあらゆる衆生が列座した虚空会の儀式として象徴的に表現していた。


(植木雅俊『日蓮の思想 「御義口伝」を読む』)