カナが遺してくれたモノを片付ける度に、それが母親として我が子にしてやれる最後の事なのだと考えつつ、同時に私が「カナが生きた証がこの世からどんどん消えてしまう」ことに加担しているようで、胸が苦しいばかりです。


当たり前のことかもしれませんが、やはり「喪失感」というものは大きくて、仕事をしながらふと「カナを失った今、私は何のために働いているんだろう」と考える機会も増え、自分の己に対する人生観が今までずっと「誰かのために生きる」だったのだということを痛感しています。